住み分けという了解と、あまりの白々しさ。


 『創』12月号に《傑作ゆえに思わぬ騒動に 出る杭が打たれた!? 「ドラえもん 最終話」》のタイトルで、昨年あたりにネットで話題をさらった田嶋・T・安恵の同人版「ドラえもん 最終話」へ、小学館著作権侵害で文書通告し、田嶋側が文書で謝罪した件がレポートされていた。田嶋の申告では、1万5,550部(1冊約500円)をネット通販や専門店を中心に売っており、販売で得た利益を小学館サイドにどれだけ返還するか、詰めの段階を迎えていると伝えられ、金額は数百万円を下らないと見られている、としている。


 自分もネットで読んだが、ドラえもんの世界観をうまく再現しており、確かに読み応えがあった。けれども、同人の中身が読者が求める「ドラえもん」の世界を完成度高く再現しており本物と比べてまったく見劣りしないとしても、著作権侵害にあたるのはそうだ。グレーはグレーであって、どこまでいっても白にはならない。黒になるかどうかは、著作権保持者の胸先三寸で決まる。それはある意味、仕方ない。


 ただ、小学館サンデーGXコミケの企業ブースに出展して、コミケ特別本を出すようになって久しいように、実際には、お互い、持ちつ持たれつの形でずっとやってきた。いかにも日本的だが、それで構わないと思うし、そういうぐだぐだ宙ぶらりんな関係も、今のところなんとかうまく回ってる(ように見える。二代目代表の死去で今後は不透明だが……)。


 1万5,000部という部数や推定で数百万円の利益が、ジャンプやエロゲをネタにした外周サークルの売上と比べてどれくらい勝っているのかいないか、自分はよく知らないが、小学館サイドのコメントを読むと、どうも、著作権侵害自体や、どれだけの額をそれによって得ていたかに、文句をつけていたようでない。

「とある地方で小学校の教師をしているという方が電話をかけてきて、『とても感動したのでドラえもんを道徳の授業に使わせてほしい』というので話を聞いてみると、なんと『ドラえもん 最終話』のことだというのです。それでこちらが、それは著作権侵害をしている同人誌なので使ってもらっては困ると答えると、『グーグルの検索にも出ているのにおかしいではないか』と大変困惑している様子でした。もし同作品が従来の同人誌という枠の中だけにとどまっていれば、そのような混乱は起きなかったはずで、想像していた以上に深刻な事態になっていることを痛感させられました」(前出・小学館総務局知的財産管理課)

 「従来の同人誌という枠」というのがおそらくミソで、即売会や同人誌専門店で好んで買うような人種だけでなく、同人を買わない一般のマンガ読者、アニメ・ゲーム・映画でファンになった広く浅い「ドラえもん」ファン、学年誌を現役で読んでる子供たちにまで、その「枠」をはみ出て影響を及ぼし始めていることを、教師の問い合わせから推測したということだろう。
 小学館謹製でないマニア向けの「ドラえもん」が、謹製の「ドラえもん」がターゲットにしている読者=顧客の層を侵食していることを、お気に召さなかった。マイナージャンルとして、アングラの枠内でなら、儲けることを黙認できないでもなかったが、自分らが儲けるためのメジャー市場まで食い散らかすのは看過できない。
 数百万円儲けたからアウト、というよりは、暗黙の住み分けの了解を破ったことが、知的財産管理課に「深刻な事態」を「痛感させ」てしまったのだろう。(二次創作の)同人は同人というマイナーの枠にあくまで収まって、ビッグサイトの中から出てくるなという商業サイドの主張が窺えるのが、この記事において興味深い。





 で、だ。そこはいい。そこまでは。知的財産管理部の言うことは、もっともな面もある。時には対立せざるをえない文化と部署だ。
 実は、知的財産管理部ともう一箇所、「ドラえもんルーム」という部署からもコメントをとっている。名前の通り、「ドラえもん」関係の現場を統括している部署だが、ここの横田清室長が、こんなことを話したことになっている。

「(中略)もしドラえもんに最終回があるとすれば、それは亡くなられた藤子先生の胸の中だけであり、この『ドラえもん 最終話』によって、先生が作り上げた世界観が変質してしまうようなことがあってはならないと思っています」

 なんだろうか、と。この、立て篭もって人質をとった銀行強盗に拡声器で「田舎の(死んだ)おっかさんもきっと泣いてるぞ」的な物言いは。ひっかかる。


 横田室長と藤子Fの間にFの生前、どんな信念にもとづく契りがあったのかは知らないが、室長という立場で版権管理なんかを任されていて、その上でコメントを求められているんであって、そこで、Fの意思を継いだように物事を語るのは違うだろう。例えば、一個人としての見解ですが、って注釈が入るならともかく。


 「先生の胸の中だけ」と言われれば、ファンなら誰だって逆らえないだろうさ。おそらく「ドラえもん」のファンだから同人版最終話を描いたんであろう田嶋だって、ぐうの音も出ないだろう。でも、それは、Fの偶像を都合よく使いまわしてないか? 


 藤子Fの胸の中には「最終回」だけでなく「続き」だってあったろう。じゃあ、えんえんと「続き」を作り続けている小学館は、ドラえもんを変質させていないか? 変質させないようにするのがドラえもんルームの仕事? 変質させないことではなくて、時代に合ったドラえもんの商品を作り出してできるだけ長く利益を出し続けられるように管理していくことが仕事だろう。変質うんぬんは方便に過ぎない。


 自分は、色違いバージョン7人衆で売り出した「ザ・ドラえもんズ」がいたくお気に召さなかった。ドラえもんは青色で日本に住んで、そしてのび太が横にいてこそのドラえもんだろうと。王位争奪戦編のバージョン違いキン肉マンも好きじゃなかったし。
 でも、藤子Fのほうでは、

実は当初、藤子はドラえもんズの映画を観て「展開が早すぎて付いていけない」とあまり良い印象を持たなかったそうである。しかし、劇場で楽しそうにドラえもんズの映画を観る子供達の笑顔を見て、「これからのドラえもんを作っていく若い世代が見つかった」とドラえもんズを正式に認めたという。

 こんな経緯もあったようだ。藤子Fが認めたから、自分も好きになるかというとそうはならないが、Fがそう感じたのかもしれないことは理解できる。


 じゃあ、「ドラえもん 最終話」に対する好意的な感想が多くあって、そのことにFが、でも否定的な反応しか出さなかっただろうと、横田室長はそう断言できるのか?


 横田室長、あなたのことをまるで、靖国神社宮司かと思う。