永沢氏の予感、物書きとしての覚悟。


 映画まで時間が出来たので、日比谷公園まで足を伸ばすと、ニッポン放送のイベントがやっており、映画中に眠くなってもなんなのでワインの試飲会はそのまま通り過ぎると、あるテントの前で、産経が最近始めた産経本紙の半額で月刊購読できる新規読者の発掘のための横書き日刊タブロイド紙SANKEI EXPRESS」(http://www.sankei-express.com/)の試読版を配布していたので、もらって読むと、まぁ、中身は例の産経節で、故・岸元首相の悲願はABEに託されたみたいな、ああそーかそーかそらたいしたもんだなの記事はさっさと読み飛ばし、全体の半分くらいを占める海外記事は読めるかなといった感じでごみ箱に捨てようとしたところ、5面の3/4を使って永沢光雄が亡くなったとの記事が。産経本紙で「生老病死」というコラムを去年7月から連載していたという。知らなかった。亡くなる一週間前に担当へ送られ、本来なら11/3の本紙に掲載されるはずだったというコラムが、この同日付の試読版EXPRESSに掲載されていた。

 けれども、わずか2時間でも眠ったおかげか、吐き気はなくなっていました。私は安堵し、秋の夕暮れの光が入ってき始めた寝室の天井を眺めました。そして、ふと気づいたのです。
 隣室に、『死』というものが潜んでいることに。しかし、私はその輪郭のはっきりとしない、ぼんやりとした『死』というものに脅えることはありませんでした。むしろ、慰められました。これで、やっと楽になれると。
 私に自死するつもりはありませんし、多分しないでしょう。けれども『死』が向こうからやってきたら甘んじて受けるつもりです。これからやりたい仕事はいろいろありますが、仕方ありません。ただ残した妻にいろいろな厄介をかけることだけに罪悪感を覚えています。

(一部抜粋)


 楽になれる、と思うほどの労苦や痛みを味合わされたということ。厄介をかけることに罪悪感を覚えるほどの誰かが存在するということ。「甘んじて受ける」「仕方ありません」。はからずも絶筆という扱いで掲載された文章に、こういった言葉が記されていることにショックを覚える。しかも誰かに宛てた私信ではなく、物書きとして表に出すことを前提にした文章で。備忘録を編纂する縁者が故人に思いをはせて想像を交えてつむいだ言葉ではなく、当人が記した言葉として追悼の記事と共に出てしまうことに。