「ナチュン ①」(都留泰作)アフタヌーンKC


“近未来。脳の半分を失った天才数学者が、人工鰓肺をつけて海潜りを始めた末、撮り溜めたイルカのムービー。それを見た28歳の大学院生=主人公は、直感で人工知能を開発するヒントが隠されていると信じ、放浪の末に沖縄のある過疎の島で、付近に生息するイルカの群れの観察を始めることにするが…・・・。”




 面白い。と、言い切れる久々の。
 コマとコマに不思議な不連続性がある。繋がってないようで繋がってる。つかみ所のない登場人物たちから発せられる何かが、ぼやかしているような。
 人懐っこくなくて、放置しといてくれたほうが都合がいいからというこちらの言外の雰囲気をさらっと受け流してくれるような人付き合いの術に長けた、夏の田舎の住人たち、って、もう、そこからパラレルワールドが始まってる。
敵対するものとか、何かを目指すための日々の努力とか、穏やかに過ぎていく日常を楽しむ余裕だとか、スリルを求めて自暴自棄な日々とか、愛して嫌って泣いて笑って怒ってさびしがってとか、別になくても物語は生まれる。
 それも主人公の視点に負うところが、大きかったりはする。28歳でオカズなしに性器摩擦のみでイケるという「自体愛」マスターベーションを正論ぶって語る主人公の周りを見ようとしない視界ゆえの。「他人の事情に/かかずらってる/ひまなんか/ないんだ」(110P7コマ目)。だから、先月出た最新号のラストで、主人公が漁を手伝う代わりに船でイルカの調査に協力してもらっていた「ゲンさん」がぽろっともらしたある秘密は、それまでの雲を掴むような人間関係に、途端、生臭さをもたらし、主人公が否応無しに視界を広げさせられる様相を臭わせてきたのが、なんだか惜しいようなワクワクするような。
 一人暮らしを始めたばかりの頃、こんな気持ちで生きてたような気がする。あの時の自分の視界は、そういった世界を視ていたと思う。もう、今は、ずっと、生臭くなってしまったけど。


ナチュン(1) (アフタヌーンKC)

ナチュン(1) (アフタヌーンKC)