政権を取るという重さ。


驚いた。
児童ポルノ法改正問題をめぐり、規制推進派の主張をひろめる“お先棒”を担いでいた毎日新聞が、規制慎重派に「転向」した。



児童ポルノ禁止法:改正案の課題 与党と民主、異なる「単純所持」定義 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090720ddm012040023000c.html
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http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/seiji/news/20090720ddm012040023000c.html



与党改正案の問題点が記事内で分かりやすく整理されている。規制慎重派の界隈ではこれまで何度も指摘されてきたことなので、繰り返さないが、これまでの毎日の紙面でここまでそれらの問題点がクローズアップされたことはなかった。
この記事を担当した臺宏士記者は、規制推進派の主張をなぞってきた、鵜塚健記者生活報道部の磯崎由美記者とは別の記者だから出来た、と考える人もあるかもしれないが、それはないだろう。
新聞の“顔”である社説の主張は常に、結論として与党案を押し、「(与党案の)法案成立を急げ」がお題目だった。記者が違うから、部署が違うからといって、“顔”と違うことは原則的に載せない(載せられない)。毎日という媒体全体で路線の修正があったと見るべきだろう。



与党案・民主案の審議に関わった当事者の議員だけでなく、周辺への取材で、日本雑誌協会(雑協)を紹介し、山了吉・編集倫理委員長(小学館取締役)の「「現行の定義のまま単純所持罪を盛り込んだ与党案では、18歳未満の芸能人やモデルが被写体となった芸術性の高い写真集も児童ポルノと拡大解釈される恐れがある」と懸念を示す。」というコメントを引き出している。
また、「過剰反応防止へ厳密な規定を」というタイトルで、甲南大法科大学院教授で刑法専門の園田寿氏にも取材し、与党案だけでなく民主案にも定義があいまいなところがあるとして「いずれの法案ももう少し根本的に見直したらどうか」という問いを投げかけさせている。
が、規制推進派の周辺については、関連のコメントが見当たらない。毎日は、他の記者が取材した過去の記事で、規制推進派の急先鋒である日本ユニセフ協会を紹介してきている(はずな)ので、取材は容易だったはずだ。アグネスチャンは、法務委員会に出席し、お涙頂戴のアピールまでしていた。そのため審議における当事者の1人と言えるはずだ。しかし、そのようなコメントが見当たらないのは、意図的に外したとしか思えない。



この記事を7/20という日に掲載したタイミングも、明らかに意図を含んでいる。
翌日の7/21には解散が迫っており、改正案が審議される可能性はほぼ100%ありえない。よって、今回の記事は直近の審議に影響を与えることがない(秋の臨時国会までは最低2カ月ある)。
臺宏士記者は個人情報保護法の問題で、関連の記事を豊富に書いてきたようだ。同じ表現の自由への危険を内包する児ポ法改正案についても逐一、動きを追ってきていたろう。問題点を指摘する今回のような記事は、法務委員会が始まる前の段階や審議の最中でも、まず間違いなく掲載は可能だったはずだ。
が、廃案確実とわかってから、ようやく掲載してきた。出そうと思えば出せた記事のはずなのに、明らかに掲載のタイミングが遅すぎる。



一方で、政局を睨んだ場合、今度はタイミングとして早すぎる。
記事は、与党案と民主案の両案の課題を抽出する体裁を装いながら、明らかに民主案に傾いている。より表現の自由を侵害する懸念がおおきいのは与党案だから、これの問題点に触れようとすれば、それに対比する形で民主案はこれだけ配慮しているという書き方には、どうしてもなってくる。だから、決して記事の構成として不自然というわけではない。
が、過去の毎日の記事は、そのような構成をあえてとってこなかった。その点では不自然と言える。8/31の総選挙までは、まだ40日あり、圧倒的に民主有利の流れにあるとはいえ、過去の論調に比べてあからさまに民主よりの記事を掲載するのは、時期尚早と言っていい。こういった記事の掲載は、民主が政権をとって臨時国会に入る直前か、法案が再提出された段階でも、別に構わないはずだ。
そういう意味で、タイミングとして早すぎる。



ただし、過去の論調に比べれば民主よりの記事だとしても、この記事単独で初めて目にした場合は、与党・民主の双方に配慮した、バランスの取れた記事だと評価してもおかしくはない。児ポ法改正問題は、一般の読者にとってはその程度の認識だ。
だから、毎日の社内的にこの記事は、児ポ法改正問題の関係者に対しては「転向」の表明であると同時に、政局の関係者に対しては「観測気球」の意味合いを持つものなのだろうと考える。
この「観測気球」に対して、与党よりと民主よりのどちらの反応が、多く寄せられるか。それによって、風向きを読もうとしている。
また、この記事の3日前に出された毎日の社説「児童虐待 隠れた被害は甚大だ」のテーマは、児童の虐待防止と被害者のケアに集中しており、児ポ法のことは、最後に申し訳程度に付け加えられているだけだ。単純所持規制を不可欠と主張してきた過去の社説から、論点をずらしてきている。これも、風向きを読むための「観測気球」の一つだろう。



この読みがあてはまるなら、規制慎重派・反対派がやるべきことは、この記事に対して、臺宏士記者や毎日新聞に「良い記事だった」という感想や意見を送るのが、「戦略的」に正しいということになる。これは自分の意見であって、もちろんお願いのレベルだ。記者クラブ押し紙や視聴率の捏造といった問題で、マスコミ一般を毛嫌いしている向きもあろうかと思うが、目的の中で何が今、優先されて、そのために何をどうしたら効果的かということを考えた場合、どういう選択がふさわしいか、そういう見地でも一度、考えてみてほしい。



そして、怖いと思うのは、ほんのひと月前まで規制推進を唱えてきた、毎日新聞という大手メディアにさえ、ここまでの「転向」を余儀なくさせる、政権交代というものの重みだ。日本ユニセフ協会の広告予算が底を突きかけているとか、毎日の主筆が交代したといった理由がないなら、総選挙後の民主政権を見据えた、軸の修正というほかにありえない。その修正を、ここまであっさりとやれるものなのかという、ある意味で節操のなさにも驚くが、やはりそれだけ政権を取るということは、世の中を変える力を持つということなのだと捉えざるをえない。
民主が権力を持ったとき、もしかしたら、規制推進派の意見をも取り入れるような方向へ動こうとするかもしれない。そのときは、民主こそが今の与党になりかねない。そこのところは気を配っておく必要がある。