渇き(監督:パク・チャヌク)

  • 新宿武蔵野館で18:15の回。
  • 人間を超越した無敵の力を手に入れた「吸血鬼」が、実体を持たない「幽霊」や気のふれた「オバさん」や身勝手な「娘」に振り回され、最終的には良心の呵責によって自ら滅びの道を選ぶ。
  • 何重にも張り巡らされたタブーを、その都度、犯していく快楽。神父なのに「吸血鬼」、神父なのに人の血が飲みたい、神父なのに上役の神父の胸に尖った栓抜きを深々と突き刺す、神父なのに人妻と体の関係を結ぶ。
  • また、その人妻が、子どもの頃から兄妹同然に育てられた男と結婚させられている、というシチュエーションで、タブー度がさらに高まる。しかも、その擬似近親相姦なシチュエーションに対するタブー視が、映画の中で一切描かれていない。倍プッシュ。
  • 夜の釣りのシーンで、旦那の男が「12歳の時、泣きながら血のついたパンツをもって相談にきたことあったよな!」という下卑たからかい方をする。タブーのターゲットになる登場人物も、タブーに塗れている。でも、最大のタブーは「吸血鬼」の神父。だから、タブーを犯しつづけることになった「吸血鬼」というタブーは、滅びの道を選ばざるをえなかった。
  • 人妻を手に入れるため、旦那の暴力から守るという口実の下で、神父が旦那を手にかけるまでの話の流れにおいて、神父が「吸血鬼」であることは口実になっていない(旦那に血を吸うところを見られて殺さざるを得なくなった、といった訳ではない)。あくまで人間としての、男としての神父が、旦那を手にかけた。そこで「吸血鬼」としての人並み外れた腕力にものを言わせてはいるが、たとえ「吸血鬼」でなかったとしても、別のやり方で手にかけていた。最初の山場のタブーは、決して許されない理屈の下で行われた。だから裁かれなければいけないが、「吸血鬼」である神父に人間社会の法律は通用しない。だから、自ら滅びの道を選んだ。
  • ヒロイン役のキム・オクビンがいい。「オールド・ボーイ」でも印象に残った(というかすごいエロかった)座位のFUCKシーンは、この映画でも登場。おっぱいと結合部が隠れてしまう体位なのに、お互いの表情と絡み合う手と密着するボディで、これだけエロく魅せてしまうのは、監督の才能とコダワリも大きいのだろうな。


映画「渇き」公式サイト
http://kawaki-movie.com/