いしかわじゅん『秘密の本棚』 第56回「浦沢の導く視線」

http://www.comicpark.net/ishikawa041108.asp
 久々に、いしかわ氏による〝売れてるマンガ家〟浦沢直樹批評が出たのでチェック。

ただ、これほどうまいのに、浦沢は漫画好きの信頼を、完全には勝ち得ていないと思う。これほど優れた作品を連発してきたのに、100パーセントは信じられていないのだ。
それは、『YAWARA!』があるからだ。

 細部はうろ覚えだが、確か、BSマンガ夜話でも、「パイナップルアーミー」のようなマンガを書く(書ける)浦沢が、なんで「Happy!」を書いてしまうのかがよく分からない、といった趣旨のことを話していたと思う。

『YAWARA!』の水準は、低くはないが、決して高くはない。娯楽作品として群を抜いているが、特筆するものではない。少なくとも、『PLUTO』の作者が描くべきものではなかった。それを臆面もなく描いてヒットさせるところが浦沢なのだが、やはりそれが信頼しきれないところでもある。
『YAWARA!』と『PLUTO』の間をどう埋めるのかが、浦沢の課題になるのかもしれない。

 描くべきものではなかった、とまで言及しているのは初めて読んだように思う。
 いしかわ氏が言う〝漫画好き〟は、自分がこの日記を書き初めてよく(自分の立ち位置を確認する意味でも)使っている〝マンガ読み〟(例えば、新刊が出る日を事前にちゃんとチェックしておくくらいはよくマンガを読む人)という文脈からは、もう少し濃い角度へ落とし込まれるのかもしれないが、浦沢直樹に信頼を寄せようとして「YAWARA!」や「Happy!」に拒否されたように感じたことがあったろうか、と腑に落ちない。
 2番目の抜粋の直前に、

『YAWARA!』は、浦沢が人気を取ろうと思って描いたものだ。これから先、最も描きたいものを描くために、必要だから描いたのだ。編集者の信頼を得るために描いたのだ。本人がなんというかはともかく、そう考えてそう大きい間違いはないだろう。

 とあるが、仮にいしかわ氏の言う編集者の信頼が狙いだったとして、それはいつくかの個所で、漫画好きの信頼と相反することなのか。
 同じくBSマンガ夜話の「編集王」(土田世紀)の回で、マンガ家が追求したがる創作性と編集部・編集者の商業志向は、対立しないという論が、夏目房之助氏を中心に展開されたように覚えているが(それにいしかわ氏がどの程度同意してたかはよく覚えていない)、それでも、才能に溢れるにもかかわらず創作性の追求を割り切ってヒットを狙うような器用さは、なまじ売れれば売れるだけ創作を大事にする漫画好きからは嫌われる、とそういうことだろうか。
 浦沢直樹は、漫画好きの信頼を得るために、今「20世紀少年」をかつて「YAWARA!」や「Happy!」を連載したスピリッツで書いている、という見方は偏りすぎているだろうか?