ミーガン法を欲しがる理由、統計上の犯罪抑止効果以外で

 北沢かえるの働けば自由になる日記(1/14)より。

欲しくない方に気持ちがずるずる傾いていたんだけど、なんかさ、再犯率の件でミーガン法の是非が語られているが、読んでいて思うのは、被害者はそこにいないんだな。刑務所に入れただけや、数字や理屈では埋められないもんがあるから、ミーガン法的なものは支持されているんじゃないかな。

 それに対する、児童小銃(1/14)での意見。

「数字や理屈では埋められないもん」について言えば、たぶん「罪を憎むか人を憎むか」という話なんだと思う。性犯罪は単なる「過ち」ではなくて「邪悪な人間性のあらわれ」に違いないという考え方が根底にあるのではないか。一般に過ちに対してあまりに不寛容な社会は窮屈過ぎて耐えられないというのはわかっていても、性犯罪は「過ち」じゃないですから! ということなのか。なんでそういうことになるのか僕には理解できないけれども。

 確かに、ミーガン法成立反対の意見で、先に加害者の更正プログラムを充実すべきだという意見はよく見たが、同時に、たとえば被害者の社会復帰を促すプログラムも練り上げていくべき、という意見は、自分の巡回先やネットで辿っていった関連の文章のなかで見たことがない。
まぁ、被害者の治療に最善が尽くされるべきことは、言うまでもないことだから、というのもあるかもしれない。それに、被害者と無関係な大多数の人にとっての優先事項は、被害者の社会復帰より、自分や家族にいつ降りかかるかもしれないという性犯罪被害の未然防止のほうだし。
 でも、数字や理屈を最終的な根拠として、どんな法律も制定されるべきだろうとは思う(自然災害などの緊急時の時限立法などのケース以外は)。

 「刑務所に入れただけや、数字や理屈では埋められないもん」を抱えているとする人が、直接の被害者やその家族だけではなく、性犯罪者から再犯による被害を受けるかもしれないと心配するようなミーガン法導入賛成な人すべてだとして、その埋められないものには、おそらく、理解しがたい極端な性的嗜好をチラチラさせるオタク、ロリコンが含まれているんだろう。そして、そういう人々にとって、性犯罪は「過ち」じゃなく、1/8の日記で書いたよう、大野和基氏が言う「治らない病気」という認識なのかもしれない。でも、やはりミーガン法を導入を納得させる根拠としては、使えないはずだ。


 
 ところで、少年法「改正」法案の通過に対する声明の、「少年法『改正』法」を「ミーガン法」へ、「子供」を「ロリコン」へ、「犯罪、非行」を「性犯罪」へ読み替えると、なんかミーガン法へのもっともらしい抗議文に使えそうで、ちょっと近似感を起こした(もちろん、人様の文章を無断改変するなど絶対にやってはならないことであるが)。
 特に、

当初自民党案は犯罪抑止を目的にしていたが、上程に当ってこれを削除。「改正」法案では、これが達成され得ないものであることが明らかになったからである。そのため、「規範意識を強化する」ことを目的にしているのだと言いはじめた。

 のあたり。将来的に「再犯率」「再犯者率」うんぬんの根拠についてうやむやにしたまま、ミーガン法的な法案を通そうという動きが強まってきたら、また同じことを言い出したりするんだろう。

 そういえば、今年3月に施行を控えた、現代の予防拘禁法とも呼ばれている「心神喪失者等医療観察法」は、すでに死刑執行された宅間守被告が起こした池田小学校殺傷事件が、成立を後押しした。同じパターンはすでに繰り返されている。