「裏ワザ」としての無断録音

 http://halberstam.blogtribe.org/entry-94b16301b91967989744634c383a9c81.htmlジャーナリズム考現学)

無断録音の必要性については認める。取材先と会話するなかで、テープなら細かいニュアンスまで拾ってくれる。その場ではわからなかったことが、後から改めて聞くとわかることがある。しかし、これは背景取材のときに限定すべきであって、核心的事実の証言を得るときには、やはりオンレコでやるべきだ。
松尾NHK前放送総局長の場合は、圧力を受けた当事者である。その当事者の証言がなければ記事は成立しない。現実の取材で「メモを取るな」と言われても、そのまま引き返すわけにはいかない。「じゃあオフレコで背景取材をさせてください」と一歩引き下がる。ここで無断録音はやってもいいと思う。しかし、話しているうちに「圧力を受けた」としゃべったら、最後にもう一度「じゃあオンレコでお願いします」と録音機を突きつけるべきだった。
オンレコとオフレコの境界線は、どうも新聞記者は甘い。テレビ記者も無断録音するが、核心的事実を報じる場合はハードルが高く、録音・録画がないとニュースとして認められにくい。
また、「不正追及のためには」という但し書きにも疑問を感じる。不正追及を拡大解釈されたら、だれでも無断録音の対象にされてしまう。今でも「同じような犯罪を防ぐために」という名目で、犯罪被害者たちの写真が「無断掲載」されている。

 その続き。
 http://halberstam.blogtribe.org/day-20050215.html

もはやテープの公開しかないでは、朝日新聞が松尾・前放送総局長との取材テープを公開すれば、取材倫理違反として記者たちや責任者たちの処分はやむを得ないとしてが、ニューヨークタイムズの規定を導入すれば、幹部編集者の判断で「倫理違反ではありながらも、真実を明らかにするのはやむを得なかった。きわめて例外的な措置」として無断に録音したことを認めればいいのではないか?

 自分としては、賛成したいが、釈然としないというタイプの意見。ネタの社会的重要性、緊急性で判断されるとして、その線引きはどこにあるのか。

 それと、ちょっと別の話になるのかもしれないが、たとえば、内通者が無断で録音した秘密会議の音声などを情報源に、記事を書いたり、報道で流したりすることは、記者自らが無断録音した素材を利用することと、報道倫理に対する違反度合いは、異なるだろうか?