有害図書の出版禁止、「表現の自由、制限を」・自民憲法小委

 http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20050303AT1E0300O03032005.html

表現の自由」を一部制限しても、青少年の健全育成に悪影響を与えるおそれのある有害図書の出版を禁止できるようにすべきだとの意見が大勢を占めた。「信教の自由」に関しても、地鎮祭への関与や玉ぐし料の支出、殉職した公務員の葬儀への公金支出などを想定し、国や自治体の行う一定の宗教的活動を容認する声が出た。

 国防の責務明記が多数 表現の自由制限拡大も
 http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2005030301003562_Politics.html

表現の自由」(21条)については「青少年の健全育成に悪影響を与える恐れがある」場合に制限できるとしていたが、「有害情報は青少年に対してだけでない」との意見が出たため、制限の範囲拡大を含めさらに検討する。

 これに対抗する効果的な方法の一つは、保護される代わりに意見表明の機会や団体をもちえない(もつほどの能力がないとみなされている)中高生が、自分たちが表現の自由の規制を進める“だし”につかわれてることを、認識できるようにすることだと思うんだけど。
 表現規制で思い出すのは、90年の秋。毎号買ってた隔週発行時代の「ヤングサンデー」からいきなり「ANGEL」が消えた事情を自分が知ったのは、2年ほども経った頃だった。ヤンサン本紙では結局、何の告知もなかった(はずだ)し、ネットもない当時は知りえないことだった。今の時代から考えると、“消し”が必要なセックスシーンのあるマンガが、小学館の青年誌に載ってたなんて、想像もできないだろう(作者が自分で入れてる“ぼかし”じゃなくて)。ドラゴンエイジの「魔法少女猫X」も及びつかないくらい直球のエロがまかり通っていた。
 あのとき規制運動とそれに反対する運動があったことを知っていれば、地方在住の学生も何かしようと思った……かもしれない。



 あと、ちょっとというか相当気になるのは、毎日の記事の最後の個所。

 自民憲法小委:「国防責務」試案に盛り込みへ
 http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20050304k0000m010067000c.html

「公共の福祉」については「国に対して個人が何ができるかという意味合いを入れるべきだ」などの意見が出た。

 去年はイラク人質事件で「自己責任」が主要キーワードに躍り上がったが、今年はこの「公共の福祉」だな。私有の土地や建物の強制徴用もOKというわけですよ。