「監督10周年記念 大地丙太郎、語りまくりっ!」①
ロフトプラスワンの位置を知らない人に説明すると、茶髪黒スーツのキャッチがそこここに立ちんぼしてる汚れた道路を歩いて、ビルの地下三階?奥深くまで降りて重い扉を開けやっと辿り着ける。だから、そんな穴蔵でやるイベントは、当然時間は夜。夜であるべきで、過去に参加したイベントもすべて夜。妹祭りも「蜜室」裁判集会もロケット祭りもほかもろもろも、とにかく夜。昼間にやってるオタク大賞はどーでもいい。
でも、長時間しゃべりたおすには、昼間からやらないと無理なんだよね。
というわけで日曜、実に予定2時間オーバー、7時間の耐久レースになった大地監督おおいに語るへ行ってきた。
http://www.ntv.co.jp/ghibli/web-as/08_event_m.html
16:00開始。
アニメスタイル編集長の小黒祐一郎氏に続いて、大地監督が登場。なぜかサントリーオールドの黒瓶が片手に。倉庫からボトルごと持ってこさせる人もロフトイベントでは珍しいなと思っていると、持参したと説明してれくた。「十兵衛ちゃん」でヤング柳生十兵衛役だった目黒祐樹氏の縁者の人が好んで飲んでいた関連で、ここ一年ほど愛飲してるとのこと。
手をあげさせて確認した客席は20代、30代がほとんど。でも、「おじゃる丸」を始めて普段アニメを見ないような主婦ファンが増えてる、らしい。ちなみに、この時点で関係者席として確保されてた座敷は人がゼロ。
第1部ゲストの安原麗子氏が花束を持って登場。ここで初めて10周年イベントらしい趣向。
大地監督が安原氏のもといた少女隊の熱烈なファンだったことは有名だけれど、それが30歳を超えてからのファンだったというのを改めて知る。少女隊デビューが84年頃だったか? そのへんからわかることではあるんだけれど。
「こどものおもちゃ」を始める時(96年)に、安原氏を自分の作品で起用したくなり始め、まず、同じ少女隊の引田智子氏をバビット役に採用して「脇を固めた」「麗子に近づくために」(大地)。引田氏のことを「とも(芸名がTOMOなので)」と呼ぶ大地監督に、「桜井智?」と小黒氏が聞く。えー。小黒氏、もう酒まわってた?
安原氏との初めての出会いは、
- あるとき、中野方面へ車で向かってる最中に携帯へ、雑誌の企画で、新宿のカラオケボックスで今から少女隊の懐かし企画があるから来ない?と連絡
- 少女隊仲間の業界人にも誘いの連絡を入れたうえで、中野方面の仕事をおっぽり出し向かう
- 企画の最後で、なぜか、少女隊の「バイバイガール」が歌われる
冗談も混じってるんだろうけれど、話を聞く限りでは、引田氏が完全にダシに使われてたな(笑)。
安原氏をイメージしたキャラクターの話で、「今、そこにいる僕」のアベリア、「じゅうべえちゃん」の御影をあげる。つーか、そのまんまだから、あまり驚きはなし。当然ながら同じようなイメージでオファーした月影蘭までは「当初からの計画」(大地)通りの登用と話す。
月影蘭ではオーディションをやったけれど、プロデューサーへの説明のためという大地監督の言葉に、素で驚く安原氏。大地監督はガハハハ。
禁じ手の持ち込み酒、サントリーオールドについて、ウーロン茶割りがすきなんだよ〜と、昔、江口寿司にそれはおかしいと言われたこと振り返って怒りながら、でもニコニコして語る。
「赤ずきんチャチャ」の演出でぎゃろっぷのスタッフに毎回ほめられ、上機嫌で家に帰ると、奥さんに面白くないとダメ出しを食らい、しょげたこともうれしそうに語る。「子供がシーンとして見てるんだよ。桜井君の回は笑って見てるのに」(大地)。この恐妻家話というか家庭があまり安らぎの場になってないというネタが、なぜかイベント中しょっちゅう飛び出す。絶対そうは見えないんだが。小黒氏からも、そういう架空の奥さんの設定をわざとつくってるようにしか見えないという突っ込みが入っていた。
演出を担当してた「おぼっちゃまくん」について。
- 通常のアニメなら動画で3,500枚使うところ、いつも3,000枚であげていた
- 忠臣蔵パロの回は、集団チャンバラのシーンは動画を2枚にして、全部で2,800枚
- 雪が降る動画は通常8枚いるところ、担当アニメーターの意地で3枚の限界に挑戦
- 東映は当時、予定の動画枚数をオーバーすると始末書を書かされてた
- 動画を減らして浮いたお金は、制作陣のボーナスになった模様
学生時代の自主制作小林昭パロアニメ「ギターをもってる渡り鳥」を上映。
- 埠頭でギターを抱える青年
- 背後からサングラスの黒スーツが拳銃で撃つ
- 同時に、銃で打ち返し飛んできた弾をギターで防御する
- ギターをどけると顔に穴が開いている。穴の向こうに富士山と「終わり」の文字が見える(「END」だったかも)
- 約20秒ほど。一応カラー。絵柄は黒鉄ヒロシのような印象
学生のときは「まだアニメで食えるとは思っていなくて、マンガ家を目指していた」(大地)。そのマンガ家に近い職業としてグラフィックデザイナーになると周囲に言っていたと話す。
その後、アニメ業界に入って、一度業界を離れた後、マキプロが独占していた透過光フィルム事業に、「おぼっちゃまくん」の制作進行をやりながら業界の仲間と「アズスタッフ」という会社をつくって参入したけれど仕事がなし。そこに「AKIRA」の仕事が回ってきて、けれどそれが終わったら、また仕事がなくなって、一年もたずに潰れたらしい。これは参加者のほとんども初耳だったみたい。
東映アニメーションフィルム時代は、未来少年コナンの撮影を担当していて、明らかにほかのアニメと動きが異なることに感化されて、また自主アニメ制作に着手。そのときつくった「ペッパー警部」というタイトルの線画アニメも上映された。
- 「ペッパー警部」はもちろんピンクレディーの曲からのもの
- ベンチに座った男が、隣に座っている女性のほうを意識して、なんだかもやもやしたり手を握ろうとしたり、襲っちゃったりする
- そのうち狼になったりもする(男は狼なのよ〜♪)。最後には、女性のほうから襲っちゃう。
- 線画アニメ。未完。
このあたりで、アニメスタイルの「データ原口」こと原口正宏氏が登場。話は、大地監督の東映退社後、金沢でのカラオケビデオ制作時代へ。
「(当時普及してきた)ビデオ映像を勉強したくて」(大地)。「悲しい色やね」「YAYA あの時を忘れない」といった曲で、オスカープロのモデルを呼んだりして、「悲しい色やね」では大阪の南港へ結婚する前の奥さんといっしょに撮影しに行ったことなどが話される。南港撮影の淡い黄色で整えられたフィルムを自画自賛。
そこから、1984年、ファッションデザイナーの山本耀司が新宿で開催したイベントの舞台裏撮影の話へ。「カラオケビデオばかりでちょっとくさってたのもあって」(大地)、本職で営業するときのプロモ映像用にするため、カメラ嫌いで有名な山本氏にかけあったとのこと。
先方が出してきた条件は、山本本人には近づかない、照明なし、三脚なし、本番撮影なし。なので、カメラは手持ちで映像もなんとなく薄暗いものだったみたい。大地監督としては、このカラオケビデオ時代は、斜光にこだわってた時代と話す。
ファッションショーは、本番を撮影する別の業者が入っていたけれども、大地監督も舞台脇から山本氏にだけフォーカスをあてて撮影し、光の調整でモデルを“とばした”映像をプロモ映像本編に挿入して、それを見たカメラ嫌いのはずの山本氏が「こういう映像が欲しかったんだ」と言ったことを、口をすっぱくして条件の厳守を大地監督に告げていた山本氏の女性マネージャーから聞いた、という思い出を紹介してくれた。素直にうれしかったとのこと。
ここで、舞台の練習のため退場する安原氏関連で、8/31〜9/4に大地監督演出のチャンバラ劇の主演をやるとの告知。少女隊時代は、ふっくらしてたけど、今はスラッとした美人さんでした。