今日のナショナリズム

 スニーカーのハルヒ新刊の学園祭話を読んでる途中、いきなりラノベ食傷度がマックスに達し、神保町の三省堂で前から読みたかった浅羽通明の「ナショナリズム」と「アナーキズム」(両方ともちくま新書刊)を買い込み、コミック高岡の前の道路の向かいの喫茶店でベーグルとコーヒーを頼んで、むさぼるように読む。
 「ナショナリズム」を11章中5章まで。明治時代に行われた国民からパトリ=郷土を捨て去らせ、ネイション=国家へ、人が寄って立つところを移動させた種々の国策(1軍人の手記、国民唱歌隠岐島の民衆自治、明治知識人に人気だった名景総覧本、日本人かくあるべしという国民性の本など)が、日清、日露の戦争の勝利をターニングポイントとして、足元の定まらない大儀を補強するだけのものへ変質し、貶められていったことについて、と今のところ読んでいる。
 5章には「否定形でしか自画自賛できぬ日本」と題した一節。突出した何かで国民性の強さを語れず、美徳は我慢強さ。そうやって明治の間、西洋コンプレックスに耐え抜いていた日本が、大国である清とロシアに勝利したことで、それに乗じて錯覚をさせようとする勢力とそれに乗りたい人々がいた。いまのところ、そのあたりの時代の話が中心。

 6章では小熊 英二、7章で本宮 ひろ志、8章で司馬 亮太郎といった、比較的現代に近い、話しを取り上げているので、今週中に読んでしまいたい。