「ランド・オブ・ザ・デッド」(監督:ジョージ・A・ロメロ)

 新宿アカデミーで19:00の回。45°勾配で配置された座席のちょうど中段あたり、さらにその真ん中、すぐ前が通路という、文句なしの座席で観賞。今度から観客が少なそうな映画はここで観るべし。



 「宇宙戦争」が全年齢対象で、この映画が12歳未満お断りである、その違いは、残虐描写の度合いではなく、武器を持った人間が無抵抗に等しい人間=ゾンビを殺戮していくシーンが、嫌悪感をもよおさせるからかもしれないなぁ、と、冒頭で、道路をふらふらしているゾンビーズを爆走する装甲車から機関銃で蜂の巣にしていくシーンや、ショッピングカートをもってぐるぐる回ってる痴呆ゾンビを装甲車の窓見から拳銃型の銛で打ち抜くシーンなどから、思ったり。拳銃の弾で頭を一発打ち抜かれただけで機能停止してしまうゾンビたちは、ある意味、か弱い。


 セレブたちの立てこもるバリケードと川と武装兵で守られたタワーを目指し、ゾンビたちは、ガソリンスタンド用のツナギを着た黒人の大男に率いられて、途中、逆さづりにされたゾンビたちに怒りをあらわにもする(ように見える振る舞いをする)。


 アメリカにおける階層社会を暗喩する設定が盛り込まれているのは、もう言わずもがなのことなのだけれど、その暗喩の中で、ゾンビたちは明らかにブルーカラーに属している人たち。老いも若きも、金持ちも貧乏人も、問答無用でゾンビー化されてはいない、ようだ。生前と同じように、数を頼みにする以外、人間たちに勝つすべはない。金も権力も腕力もないまま。


 タワーで暮らすセレブたちを除くと、金も権力も腕力もないのは同じであるはずの、ゾンビとゾンビ化してない人間。ゾンビは人間を取り込めるが、人間はゾンビとの対話は適わない。主人公のライバル的役割にあった男は、ゾンビ化の後に復讐を果たす。


 今日のところは、ファイナルウェポンとしてのゾンビ、という結論でどうだろう(弱気だな……)。



 ところで、観た人にしか分からないことで申し訳ないのだけれど、サモア出身の相撲取り風ガードマンは、なぜ、同僚の女性ガードマンを殴り倒して、主人公側についてる元娼婦と主人公を追いかけていったのだろう。近くに座ってた人も「アレっ?」と思わず声を出していた。



参考:公式サイト