記憶を掘り起す。

  • 西崎まりのに花束を。-浦嶋嶺至、朋友への手紙-

 http://d.hatena.ne.jp/urashima41/20060324

美少女漫画ブームの夜明けが訪れようとしていた。
(中略)
ロリコン漫画」から発した美少女漫画は、次第に「美少女エロ」というジャンルへと移行しようとしていた。

そんな昭和59年=1984年。

  • 西崎まりのに花束を。-浦嶋嶺至、朋友への手紙- - プロローグ(4)

 http://d.hatena.ne.jp/urashima41/20060331

この頃、西崎まりのは様々なサークルの同人誌に引っ張りだこでゲスト寄稿していた。僕はそういった本を即売会で見つけては買い集めていた。
純創作と美少女もの・エロを含むロリコンといったジャンルはまだ未分化で、創作系の作家でもかわいい女の子の絵を描く者たちはそちらに分類されてしまうこともたびたびおこっていた。
そんな描き手たちを紹介する雑誌なども「ぱふ」などの専門誌だけではなく「レモンピープル」や「ロリポップ」などロリ系誌も同人誌コーナーを作り掲載することも増えてきていた。
まりのさんもそんな混沌とした状況下で、いつしか「美少女漫画」にカテゴライズされていた…思えば、ここで「こちら側」に来てしまったことが彼にとっては結果として後の悲劇を招いたのではないかとも感じる。
出逢いとは奇異な偶然が重なって起きるものだが、僕にとってはこの分岐点がまりのさんとの関係を導き寄せてくれた幸運ではあるが、彼にとっては幸せだったのか。
こうした結末を迎えてしまった今では、わからない。

そんな昭和60年=1985年。



大塚らに代表される語り手によって文献としてまとまった形にされた80年代中盤までや、自分がリアルタイムで追いかけていた90年代初めやそれ以降と重ならない、自分にとって空白である80年代後半の美少女エロマンガ黎明期〜勃興期における当事者の語り。MEEや亜麻木桂やドルフィンの目次ページマンガで知った高塚さのりらの、まだ名前が知れる前の頃の。ダーティー松本の自分史マンガは、ちょっと時代が離れすぎていて身近でなかった自分には、とつとつとした語り口もあって、非常に読ませてくれる。申し訳ないことに、西崎まりの、という作家を、これまで自分は知らないのだけれど、それでも、だ。

ネットが発展してしまった今では、こういった交流が表に出てしまって、それはある意味、ファンもリアルタイムで追いかけやすくなって嬉しいことなのかもしれないけれど。……いや、それも良し悪しと続けようとして、この語りを読めている環境をそのものがネットで提供されていることに気づいて、後が続かなくなってしまった。