理想のオナニーをありがとう。

  • 木静日誌 - メモとか

 http://d.hatena.ne.jp/tomoegozen/20060623#p3

50過ぎのおっさんとか、年甲斐もなくSEXの話ばっかりする人が居ますね。こってりギラギラした「マルサの女2」の三國連太郎さんとか、「失楽園」の古谷一行さんみたいな方が。赤マムシ御用達みたいな。
そういう人から話を伺うと、もう自分の男性機能への自信とかそゆのは年齢的にどう足掻いても衰えてるわけで、ただそういう自分でもまだ相手の女性を感じさせる事はできる、「イカせる」事にめっちゃ執着したりするみたいで。だから、オナニーとか完全にこう自己完結する快楽だと満足中枢において成立しなくなってるというか。相手を満足させるという達成感、喜びとか、それによって保たれる自尊心とか、メンタリティの部分がすごく大きいらしく。単純に、肉体的な快感って部分ではもう満たされないと。だからバイブ使ったりとか、色々とプレイの幅を広げてSEXに向き合うのかなーと。話聞いてて思って。
で、エロ漫画を支えて下さる若い読者さんは最初に書いた、<「オナニー」に同調して「オナニーする」>って構造だと思うんですけど、つまり、SEXよりオナニーの方が肉体的な快感としては気持ち良いし、手頃だし、自己完結できるから。僕もまだこの辺かなと。こないだその、50過ぎのおっさんに「頭でっかちでチンコ小さいんやろ」とか言われてぐうの音も出ませんでした。流石年の功。
ただコレが、もう少し年齢が上がると、性的に衰えを感じ始めるその辺になると、自己完結が成立できなくなるから、他者との介在が必要になるのかなーとか。後はもう年齢とか立場的に手の届かない「純愛」とか「生々しさ」とか「過ぎ去った、もしくは通過できなかった憧憬」とか、リアルから抽出・演出された「ドラマ」に行くのかなと。甘詰留太先生の漫画なんか読んでると、あーもうSEXとかそゆのはいいからチュウがしたい。ギュッーとかハグがしたい。ソファーに二人羽織構図でテレビ見たい。ドラマティックに恋したいとか、思うし。
だから、エロ漫画を突き詰めると、「理想のダッチワイフとかオナホール」と、「理想のバイブレーター・張型」を使った「理想のオナニー」を描くエロ漫画があって、それをさらに突き詰めると、結局リアルに回帰するのかなーとか。ただその回帰するリアルってのも、あくまでも「リアルっぽい」っていう抽出と演出による「真っ赤な嘘」なんですけど。これは「メカビ」で養老孟司さんが書かれてた事にすごく納得した。


 あんまり話と関係ないが、自分は、他人の考える理想のオナニー=エロマンガには同調したがるようになったのは、自分の考える理想のオナニー=妄想的創作意欲や能力にある程度見限りをつけてからかな、と思う。自己完結するにしても他人の妄想が媒介としてとても大切で。この先、他人の妄想にさえ反応が鈍くなってきたら(ハグだけで十分だとか)、ちょっと落ち込むかもしれない。



 ……えーと、結局、エロマンガにどれくらい興奮できるかで自分の若者度を測ろうとしてるんですか?、自分は。それをあんまりどうよと思わない自分をどうよ。