週刊文春8/3号――「昭和天皇メモ」の衝撃 日本遺族会が「A級戦犯分祀」を提言する!(上杉隆)
先週木曜朝刊の日経スクープから1週間。
マスコミや政治家やアジア諸国や靖国関連の論客やネットで、膨大な意見が一度にあふれ、その何百分の1くらいしかまだフォローできてないとは思うが、なぜか、知りたいのに表に出てこず、うまく見つけられなかったのが、遺族会のメモに対するスタンス。記事で見つけても「信じられない」「信ぴょう性が分からない」といった、認識を停止するか態度保留と言えるコメントだった。
この遺族会の内幕を、上杉隆が、文春で5Pに渡って、遺族会が分祀に動く、という内容の記事に。この1週間のうちに出てきた後追い記事の中で、もっとも刺激的。
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コイズミ関連。
「心の問題」だと天皇メモに取り合わないコイズミに対して、父親をボルネオで亡くした遺族会常務理事で岡山県議の岸本清美から「あの発言だけは絶対ゆるせない」「天皇陛下のお言葉を、その他の人間のことばと一緒にしてはいけない」というコメントを引きずりだしている。見事な靖国思考(ただし岸本は分祀推進派)。やっぱりそういう反応があって当然なのに、今度のことでコイズミに対する遺族会の怒りを、ほかのマスコミには自分のできた範囲で、見られなかった。
コイズミの靖国参拝に感謝するとする一方、「が、今回この発言を聞いて首相は本当にわかっているのか、疑問に思った」ともコメント。
これも当然あっておかしくない反応。じゃあ、コイズミにとっての靖国参拝は、遺族会の思いとは天皇に関して正反対のところにあって、票田と外交カードの一つに使うためでしかなかったのか?となる。個人的にはコイズミならそりゃそうだろ……って感じだが。
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分祀関連。
だからこそ、天皇の靖国参拝を悲願にする遺族会にとって、天皇か、天皇の母親=昭和天皇の奥さんに生きてるうちに参拝してもらうため、そして、メモ報道を受けて加速するだろう外見ばかりで魂のない(と遺族会が考える)追悼施設の構想を阻止するためには、分祀もやむなし……、という論調が浮上してきている、というのが記事の論旨。これも、メモの真贋や政治利用だとか、どっちかというと傍流の議論ばかりが目につくネットだと、お目にかかったことのない視点。これを、スクープから1週間の時点で記事化しているのはたいしたもの。
ある遺族会の幹部から引き出したコメントが、遺族会の分祀論に抵抗しにくい靖国の立場を表す。「なぜなら、靖国神社の運営の大部分は、戦没者遺族からの寄付金で成り立っているからだ」。
つまり、遺族会や靖国にとっての力関係は、
という並び。
遺族会と靖国が実は、一体ではない、というこの記事の肝につながる。
残念なのは、遺族会の分祀論浮上を受けた、靖国側の反応をフォローしてくれてないこと。あたったけれど、ノーコメントにされたのかもしれないが、現実に出てきているらしい遺族会の分祀論を無視できるはずはないので、来週号あたりでやってくれると。
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古賀誠関連。
ここ数年で分祀論を強く言い出し、6月に靖国の総代を辞任した、日本遺族会会長の古賀誠の「転向」は、父親が戦死したレイテ島を2003年に初めて訪問したことが影響しているのではないか、という視点が提示されていて、ほほぅ、と。主義主張で、個人の内面の部分を外野が憶測してもあまり実りのある議論には結びつかないことが多いと思うので、意識的に目に入れないようにしている考え方だが、これはちょっと、惹かれる。
日本遺族会会長の就任は2002年。その翌年に野中広務とレイテを訪問している。ここで「激しい雨に打たれながら、古賀先生はあたり構わず、号泣しながら祈っていた」という、同行した秘書のコメントをとっている。
前述の分祀派でボルネオで父親が戦死した岸本常務理事は、「戦地に行かない戦争指導者の遺族に、兵隊の遺族の気持ちが分かるのだろうか」とコメントしており、岸本と二人、理事会の中で圧倒的に孤立した分祀派の古賀もそうなのではないか……、という筋立て。
レイテ訪問のエピソードそのものは、記事になってたり自ら講演で話していたりで(参照1、参照2、参照3、参照4)、ちょっと古賀自身も、お涙ちょうだいの"武器"にしてるかな……、とは思わないでもないが、レイテ訪問で、古賀の中の何かが変わった……、というストーリーは、直撃インタビューでも何でもやって確かめる価値があると思う。