イブニング No.23

「レッド」山本直樹

 第2話は、岩木=植垣康博が1969年10月21日の「国際反戦デー」新宿闘争で逮捕されるまで。闘争の合い間、寿司屋ののれんをくぐって水だけを二杯頼むシーンの挿入は、『創』の不定期連載で岩木=植垣に取材した成果だろう。
 ナンバー⑭が振られたおかっぱ頭の女性、宮浦(21)は、横国出で革命左派だった金子みちよ。迦葉山ベースで殺害された1972年2月4日当時の年齢は24歳。1969年9月4日の愛知揆一外相訪米訪ソ阻止闘争に参加・逮捕後、あさま山荘事件で逮捕された吾妻=吉野雅邦の恋人で、殺害当時、吾妻=吉野の子供を宿していた。

総括を求められていた金子に対し、森は「いざとなったら子どもを取り出す」と指導部会議で発言した。その後の全体会議で、森はメンバー達に“金子は子どもを私物化していること、妊娠しているから厳しい総括要求はないだろうという態度をとっていること、官僚的で女寺岡であること”などを説明し、指導部会議での発言と同じく「子どもの奪還」を宣言した。それを聞いたメンバー達は、誰も何も言わずじっとしていた。
そして子どものために金子に食事を与え、床下から室内に移したが、立たされたまま緊縛された。金子は日々衰弱し、始めは自分から食べ物を欲していたが、やがて少ししか食べられなくなっていった。その後、土間で横に寝かせて縛りなおした。
4日未明、森が金子の容態の変化に気付き「どうした?」と金子に聞いた。すると金子は「お腹が痛かっただけです」と答えた。そして医学部に通っていた青山に診断をさせ、砂糖湯を与えた。
また夫である吉野に、ミルクを与えておくようにと指示を出したが、何故か吉野は金子にミルクを与えなかった。
その日の早朝に、金子は息を引き取った。
メンバーにとって身ごもっていた金子の死は大変なショックだった。
その後の全体会議で永田により指導部としての自己批判がなされた。しかしそれは「我々の目的が何よりも子供の奪還であり、その為に彼女と闘うことにあったので、我々の敗北、誤り」としたものであった。