なぜ同人SHOPで同人を買わないのですか?


 先日、昭和から現在まで連載が続いてる漫画で、コミックシグマの「きっず・とれいん」(飼葉駿) はペンギンクラブ時代からカウントすると昭和からやっているのではないかしら、とあいまいなコメントしてみたものの、もしかしたら違うかもという思いを捨てきれず、初めてシグマ(vol.6)を買ってみたところ、この号の「きっず・とれいん」はvol.241。平成19年の今年、月刊連載で21年目に突入。一安心。ついでに確認できた飛龍乱ちゃたろー亜麻木硅は相変わらずだけれど風呂屋の帰りにファミマで100円パック麦茶といっしょに買ってた十数年前と相変わらずであることと作品発表の場をまだもてていることに目頭が熱くなる一方で、時流とかけ離れ実用性に乏しい誌面は定期購入に踏み切れるほどではなく。が、そんな誌面の中で寿司まわるという人が書く「同人生活3rd」というコラムの6回目が、ちょっと興味深くかつタイムリーでお得感。


 テーマは、メロンブックスメッセサンオーの店員に聞く「同人の専門店委託をどう考えるか」。即売会以外の流通=専門店による委託販売・通販が当たり前になっている状況下のメリット・デメリットについて。即売会のカタログ販売やパンフレット配布で専門店が有力ルートになっていることを考えると全体的に「関係はおおむね良好」というまとめ方で、まぁ、そんなとこだろうとは思う(著作権の問題などは横に置いた、あくまで流通形態の側面において)。限られた日に限られた場所で利益はあまり重視せずに販売(サークルによっては配布に近いだろう)する「趣味」の同人は、専門店による委託販売・通販でいつでもどこでも金を出せば手に入る「稼ぐ」ことのしやすい同人へ様相を変えた。コミケやらで昔から大量部数を売りさばく大手サークルより、そこに届かない中堅、小規模サークルが委託で次回イベントの印刷資金を得やすくなるなどのメリットは享受できてるだろう。買い手にとってのメリットは、例えば、このあたりのコメントを追えば一目瞭然だろうが、このメリットがあまりに前提化しすぎてしまって、専門店に委託しないサークルを責める我侭な声もあるらしい。


 タイムリーだったというのは、まったく個人的なことになるのだけど、冬コミで完売のため買い逃していたF4U緋鍵龍彦の新刊を手に入れるため、生まれて初めて即売会以外の場所で同人を買っていたから。同人業界という円環の中で専門店はもう、なくてはならないものになっているが、自分個人においては必要なかった。なんとなく今過ぐ欲しくなり買いに走ったが、もしかしたらもう二度と専門店で買うことはないかもしれない。ビジネスとプライベートを混同してしまったような後味の悪さ、まんがの森で意味なくサイン本に手を出しそうになったときの気分。即売会で買う同人は、自分にとって縁日で買う綿飴や油っこい焼きソバや射的で当てたおもちゃに近い。仮に街のスーパーで売られてるそれらを買うだろうか? 専門店の棚に並ぶ売れ筋の同人は「萩の月」。家族や友人へのお土産には無難だろうが、自家消費しようとは思わない。*1


 作家と読み手が直接に応答し合えるのが醍醐味の同人でなんで小額ではあってもSHOPマージンを介在させなくちゃならないのかという吝嗇な気持ちが働いていることも否定しない。金を出せないわけではない。商業マンガと同人では金を出せるボーダーラインは異なる。もし犬星同人活動をしていればコピー誌が3,000円でも買うだろうが、彼一人のために500円の「少女天国」は買えない。プライベートである同人に、ビジネス=商業のものさしは可能な限り関与させたくない。ただ、専門店に指摘した「いつでもどこでも金を出せば」は、きっと十数年前の自分なら「お前が言うな」と今の自分を指差し返すだろう。新宿や秋葉原ビッグサイトまで500円もかけずにあっという間に辿り着ける東京の自分に、まだ地方に居た十数年前の自分なら。だから専門店を利用しない理由がもう一つあるとしたら、地方に居たときのルサンチマンの名残。東京にいるからこそ、残しておきたい不自由さの一つとして。


 次回、委託しない理由、委託承諾の基準、をテーマにするという。どちらも非常に興味があるので、期待。

*1:断っておくと、同人の中古市場に対する認識はこれらと異なる。商業誌ないし古物市場一般に対するものと大差ない。同人を持ち込む人=買い手なので。別に中古でも買ったことはないが。