論座 4月号――赤木「丸山」論文への応答に関して

赤木智弘さんの論文への応答も特集されていたが、話が噛み合ってない。森達也さんがいささかムキになって反論しているのが、何だかおかしい。月収10万円あれば、東京都内で30代独身男が生活できると言うのは本当だろうか。

http://d.hatena.ne.jp/eirene/20070307/p1

赤木氏の『「丸山眞男」をひっぱたきたい』という意思表示は、明確な「悪意の表明」である。そして「戦争」という手法の導入は、その「切実さ」を表す為のロジックに過ぎない。
だからこそ、それに対する「応答」は、「戦争の本質」や「論旨の稚拙さ」ではなく、まずその「悪意」に対する応答でなければならなかったのだ。
しかし愚かなことに、その「応答」に立った人々は、その本意も切実さも理解せず、「悪意」の対象が自分であることも認識しないまま、ただただ常識論を返すだけである。

http://d.hatena.ne.jp/inumash/20070307/p1

赤木氏の論説は、実は古典的階級闘争の主張である。ブルジョアは打倒されなければならない、無産階級よ、立ち上がれ! 秩序よ、逆転せよ! という咆哮である。左翼言論人にとってはキリストのような人(マルクスパウロってことにしよう)が再来している。「戦争」という表現をとったからと言ってそこにちまちまこだわるのは、キリストのレトリックの細部を云々しているのと一緒だ。ばかなことを言ってはいけない
左翼言論人よ、あなたがたのキリストがやってきたのだ。原点を唱える人だ。だから尋常ならざる覚悟と緊張感を持って論議するべきである。あなたがワイドショーのコメンテイターよりはましな存在であるというのなら。もしあなたが「左翼教」でないことを自覚したなら弾圧に回るもよし。ただし事前に立場を鮮明にしてからである。「私は赤木氏のような立場の人を救うべきだというつもりは全くありません」とね。それが恥を知るということだ。

http://blog.goo.ne.jp/circusmanx/e/7b96670f21077b8fc49a666f875bb608

論座2007年4月号には、2007年1月号に掲載された赤木智弘『「丸山眞男」をひっぱたきたい』への数人の識者からの応答が載せられているのだが、これがその号で特集された左翼を考えるというテーマと絡み合って、まるで現在の「左翼なるもの」の限界と欠落を示す具体例の提示みたいになってしまっている。
それも含めて特集の意義があった、ということになるのかもしれないけれども。一方では抜け目なく「あれ、おもしろいですよ」「気持ち分かりますよ」と語る鶴見俊輔吉本隆明両氏のインタビューものっけてるしね。
でも、そうなると、限られた枚数であの応答文を書かなければならなかった方たちは、「なんだか」な気分なのではないだろうか。それとも、そんなことも感じないほどにもあれなのだろうかね?

http://d.hatena.ne.jp/nessko/20070307

この赤木さんの考え方じたいに、私は戦後教育においてインテリが養成しようとしてきた型を感じてしまう。
「行動」よりも、「条件」とか「目的」が先に必要だという考え。

http://d.hatena.ne.jp/kazetabi/20070305

 応答文を読んで澱のように溜まっていたイライラは、認識のズレによるイライラ。話が噛み合ってない。戦争を求めるという主張にまともに反応しすぎ。花粉症に過敏な現代人のごとく。もっともらしい応答文は、本当に答えて欲しいことに答えていない。斉藤氏や若松氏や森氏や佐高氏の主張は、働け、もっと勉強しろ。真意を汲んであげるほど左翼論者は優しくなかった。突き放すorオルグする(赤旗)。



 が。


逆にいえば、赤木論文に批判を寄せた人々は、世間では「左」と認識されているにかかわらず、実際には「左」ではない。結局、彼らの多くは「現状に少しばかりの不満を持った人々」なのであろう。

http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_17a1.html

 応答した識者ら、赤旗と福島氏を除けば、左翼的言説の限界を論じてきた人ばかり。果たして、結局は左翼から抜け出せていないゆえの限界なのか? 左翼に由来する限界なのか?


赤木氏は、みずからの戦争への希望を若者の右傾化の心情とかさね合わせている。その戦争への希望のうらには、社会に居場所がないという感覚がある。若者の居場所のなさと右傾化はたしかにむすびついているのだろう。文脈はまったく違うが、かつて、社会のなかに居場所がない人間に居場所をあたえ、そうした人間の人格を認めてきたのはまさに右翼やヤクザであった。ひとは、正しいことをいう人間に、ではなく、自分を認めてくれて居場所を与えてくれる人間についていく。

http://blog.yomone.jp/kayano/2007/03/post_98c7.html

 では、右翼なら、赤木氏に救いの手を差し伸べられるのか? 右翼的言説、「美しい国」の賛同者は赤木氏を抱擁する準備があるのだろうか?


赤木氏の主張(≠論理。彼の文は論理になってないです)の根っこには大体、「バブル崩壊」があります。しかし、その崩壊したバブルの中で上手くやってる人たちが大勢いるし、バブルの中で失敗した人もいる。就活の基礎なんて昭和の頃から変わらないし、政経の尻拭いはどの政権時代にも必ず起こることです。最終学歴の教育機関に入学してから卒業するまでの間に、認識と行動力と危機感が赤木氏当人に不足しすぎていただけの話です。
私は「結果が出なかった努力は、しかるべき努力を完うしたと言うべきではない」と考えています。自分の努力の不足を棚に上げてできないことを望むのは非生産的だし、己の無力さを棚に上げて問題の原因を外に求めるのは醜いと思います。

http://subken.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_635f.html

 出発点である「丸山」論文へのネット上の反応で気になった論旨の代表的なもの。自己責任論。右翼というわけではない。今目立ってきた社会的な風潮として。というか、グーグルサーチしてもブログサーチしても、右翼的価値観から赤木氏に手を差し伸べようという声が、ネット上で見つけることができなかった。サーチワードが不味かったのか。しかし。赤木氏の主張を突き放すような応答文や言説が、左翼の認識不足や孤立に大きく起因しているように納得しにくい。突き放したのは、左翼なのか?


赤木さんの腹立たしさはかって「実存あふれる豊かな社会」で生きてきた人間(団塊の世代)達の節操のないフットワークなのかなぁと思ってみたりします。恐らく、今の時代は貧困層(不安定C層)に対して、かって、オヤジ達が若い頃に貧しかった頃と比べて社会が見る目が全く異なっているということでしょう。そこが一番の問題点だと思う。そこだけ僕はフォーカスして語りたいと思う。

http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20061228/p1

 今のところ、こちらの見解がもっともすっきりしているように思う。左翼右翼ではない。この前提をどこまで認識した上で語り合うか。左翼言論の輪の中だけで終わっては物足りなさ過ぎる。議論の下敷きに利用されてる戦争待望論に右翼的立場から賛同・批判する人は、絡んできてくれないのだろうか?


不幸の平準化としての戦争、という論理だが、革命による平準化よりは、はるかに実現性がたかそうだし、日本のネオコンと防衛産業の労働組合も、不況になれば軍需生産の拡大を唱えないともかぎらないので、革命よりははるかに若者たちのこころをとらえそうだ。
かつて、絶対的窮乏化は、革命のひとつの条件でもあったし、戦争の危機もまた、革命にむかう社会的条件だった。ところが、いまは流血と粛清をともなう暴力革命は先進国ではまったく人気がなく、消費文化としてのマスコミが、変革や改革、ときには革命までファッション化してしまい、意味を逆転させられた「政治改革」が猛威をふるっている。変革の夢から疎外された若者たちの絶望は深い。
が、戦争などと極端にウルトラなことをいわなくとも、世の中、ウップン晴らしができないわけではない。わたしは日野自動車での派遣労働者の組合、「ガテン系連帯」の結成集会に呼ばれていって、アジって帰ってきた。

http://opendoors.asahi.com/ronza/story/index.shtml

 応答者の中で、鎌田氏のみが、もっとも正面から具体的な提案をしていた。だから蒲田氏のみ、WEBで公開されているのかは知らないが。


これについては、論座の少し後の号で再対応します。
決して単純な反論ではなく、前回の話、すなわち既成左派と、私の噛み合わない部分について、もっと明確に深く考えて行こうと思っています。

http://www.journalism.jp/t-akagi/2007/03/post_195.html

 何号かあとの論座に、赤木氏から応答への再応答が載るようだ。それまでの号で、右翼的立場からの反応が読んでみたくなる。


(4)3月7日(水)『創』(4月号)の私の連載は「インターナショナル」です。『論座』(4月号)は驚きです。特集が「グッとくる左翼」です。まるで、「がんばれ!新左翼」ですね。「週刊朝日」が「右翼」特集をしたので、『論座』は「左翼」特集なのでしょうか。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2007/shuchou0305.html

 そういえば、元一水会代表の鈴木邦男氏に何故、オファーしてないのか。右翼に提供できるものと左翼の限界。鈴木氏は適役の一人だろう。



論座 2007年 04月号 [雑誌]

論座 2007年 04月号 [雑誌]

論座 2007年 01月号 [雑誌]

論座 2007年 01月号 [雑誌]