作品そのものについて語ることに、臆病になっているかもしれない、最近。
売上や利益という指標は、「性描写」よりはマシだ。市場について教えてくれる。誰の声が大きくて、誰の声が小さいか、教えてくれる。だが作品の指標にはならない。もし作品の指標にしたら、それは作品を《処理》しているだけだ
中里先生はいいこと云う。「処理」というのは言いえて妙だと思う。
http://www18.cds.ne.jp/~mjq/td/20070521.html#1179738315
作品の内容について語らず(語れず)、売上とかの情報をもってそれでも何かを云いたがる人種は良く見かける。その作品の内面に踏み込まず、上っ面だけで何かを区分するようなやり方は、確かに「処理」だ。
読まずにアゲツライたがる人と、読んだ上で中身を語らずに「でも売れてないらしい」「だから面白くないんだ」とバック思考で語ってしまう人の波の中、そこに自分が呑まれてたりする。
マーケティングに努めるのも、礼賛に走るのも、どっちも過剰はよくないね。