全うにカネを得る努力の放棄の見返りとして得るもの。つーか、全うって何?

しかし、とりあえず400万円ということで考えると、1年で40万円。月3万円ちょっと。
たしかにサラリーマンのお小遣いとしては多くて、小さな悪さは出来るけれども、それで国家機密を漏洩するのか、と疑問に思う人も少なからずいるかもしれない。
正直なところ、公調が仮に同じような形でロシア機関員を獲得したら、どんなに少なく見積もって月30万円は出していると思う。
3万はシケてるなあ、という感じがする。

http://espio.air-nifty.com/espio/2008/01/post_e281.html

もっとも、よほどのデタラメを流さない限り、なかなか運営を打ち切るわけにもいかない。それは組織にとっても一つの実績だからである。
担当者は協力者を獲得した時点で大手柄である。その時点で仕事の大半を成し遂げた感がある。無論、その協力者が重要情報を提供すればさらに得点が上がるが、まあまあ申し訳程度でも十分面目は維持できる。というのも、協力者を獲得できない者に比べれば、結果を出しているわけで、とにかく情報を報告できる立場になるからである。使える調査活動費の額も増える。左団扇である。
微かに眉根を顰め、さも深刻そうに、「(小指を立てながら)コレからちょっと連絡があったんだけどな・・・」などと聞えよがしに傍らに耳打ちしつつ、常に大きな顔ができる。権勢の誇示である。こちらのほうがカネよりも魅力がある。
かくして担当者と協力者には一種の共犯関係とでも言うべきものが生まれる。関係が維持されている限り、その二人は受益者となる。実に妙な関係である。「コレ」というのは言い得て妙である。

http://espio.air-nifty.com/espio/2008/01/post_5408.html

52歳のプロパー職員で内閣事務官。内閣事務官というのは要するに末端職員である。最近では公調あたりからも、内閣調査官、内閣参事官待遇で、自分と変わらぬ年齢の中間管理職が大量に出向いてくる。
そういう人たちに使われる立場である。はっきり言って先も見えている。世間が抱くスパイ活劇の幻想と現実の甚だしい乖離に気付いてからすでに何十年も時が経過し、退屈し切っている。しかし、どっぷり身を沈めてもはや抜け出せなくなっていることも日々痛感させられる。
一方で、自分は“専門家”であるという強い自負も持っている。奴らよりもプロだとも思っている。でなければ、自分の存在理由がなくなるからである。部外者に対する対抗意識もある。いつもそれに駆り立てられている。
ロシア機関と密かに交渉を持っているという事実は、自分が非日常の世界に身を置いているという仮構を実体化してくれる、決して人には言えない、しかし確かな材料である。
その材料を常に心の中で反芻している。
そんな御大層な連中とは関係を持てぬ同僚に対する優越感と、そういう形でしかインテリジェンスに関われない屈辱感が同居している。
いや、屈辱感のほうは、自分こそが本当の真実を知るインテリジェンスの第一人者だと思い込んで、いつも念頭から追い払っている。
実は内心、昼行灯の中村主水を気取っていたりもする。秘め事を察知もできない尊大な上司・同僚をいつも小バカにしている。外面の従順さと内心の反逆のために、言い知れぬ厭らしさが知らぬ間に表情にこびりついている。
職員が処遇に強い不満を持っていたのだとすれば、むしろこの勿体ぶったインテリジェンスなるものに対する対価が少なければ少ないほど、国家機密が二束三文であればあるほど、自分を拘束する現実の滑稽さが浮き彫りになり、その都度倒錯的な裏切りの快感を齎していたのかも知れぬ。
まあ、つまらん想像に過ぎないけれども。

http://espio.air-nifty.com/espio/2008/01/post_1232.html

(強調は引用者による)




あー。
「職業」に憧れちゃダメだったんだなぁ、と、今頃気付いても遅いのか、ようやく目が覚めようとしているのか。
遣り甲斐だと思えているものを引き換えに、何を得ていますか、あなたは、私は。
正直なところ、「最近、心底、打算的になってしまっているぁ……」といった我が身の振り返り方は、そう思い込んでいるだけで、自分に権限などあるはずもない僅かばかりの予算内で小銭に一喜一憂してる、のかもしれない。