ダークナイト (監督:クリストファー・ノーラン)


新装開店した新宿ピカデリーで22:00の回。
真っ白なホールと真っ黒なシアターのそれぞれが広々として清潔感があって、通いたくなった。左後ろの座席(スクリーン6のI-18席)は、前と斜め前の客の頭(客の1/3が外人)がまったく気にならない高さで、足を伸ばせる奥行きもそこそこ。ただし、スクリーンのある階までエスカレーターを何度も折り返し登らせられる仕様に耐えられる体調の日なら(エレベーターはプラチナロビーから入れるカネのあるヤツのみの特権!)。無料で問答無用に作られたメンバーカードは、6回通うと1回無料と。そこまでは通わないか。けれども平日のA列、つまり最前列は予約無しならカードを出せば1,000円でいいとのことなので、そっちを利用してレイトショーの「ポニョ」でも観る。





「ハッタリと小器用に回る頭で生き延びてきたチンピラ」と呼ぶのが全くふさわしいジョーカーの振る舞いに、惚れ込む。世を恨み人を恨み「正義」と呼ばれるものを恨む(そして「悪」と呼ばれるものを手前勝手に利用する)、その動機は不確かなままのアナキスト。行けるところまで行ってやろうとするダダイズムの塊。"トゥーフェイス"相手の会話で自らも認めていたが、計画性=戦略に欠ける(というかはなから持たない)代わり、無制限に恐怖を蔓延させる戦術(人質、機関銃、毒殺、手榴弾、時限爆弾、ガソリン、バズーカ、どれも肉体的熟練は必要としない)と、躊躇なく自らの命をBETできる刹那性が最大の武器。
カネのためオンナのため名誉のために事を起こす無法者ではなく、無法そのものがジョーカー。無法の得意分野である暴力や怒りによっては、決して堪えない。肉体的にはともかく、精神的に平然。
だから、最終盤で、ある重要な選択が主要登場人物ら以外の人物(もしくは集団)に託され、“良心”に基づいたその選択の結末がジョーカーを揺るがす、という筋立ては、分かる。理解はできる。無法を本当に消沈させられるのは、法(検事)や暴力(警察、バットマン)ではなく、きっと最終的にはモラルだろうから。152分の上映時間を通して、具体的な行動ではなくモラルという理念が物事を動かした唯一の場面というところからも、製作者が伝えたいものの中の上位にあるのだろうと思う。
けれど、映画の中の事とはいえ、そのモラルが成立しえるか、観客として受け入れられるかどうか、というところで、この作品に対する評価が変化するかもしれない。
自分は、どうだろう、計画性の無さとアンバランスに大量の爆弾やガソリンを調達・設置できるジョーカーの指揮力との“帳消し”で、そのモラルに感じた居心地の悪さを追いやった、というところか。



あと、かなり早い段階で絵が出回っていて、あーこんなカッチョイイのにこんなに早く出回らせなくてもいいのにもったいないと思っていた豪速バイク「バットポッド」は、本当の本当にカッチョイイのはここか! という場面が別にあって、裏をかかれた感じ。ヒントは、バットモービルバットポッド


参考:公式サイトバットマン ビギンズの感想