3時10分、決断のとき (監督:ジェームズ・マンゴールド)


新宿ピカデリーで18:10の回。


  • 客席の半分が白髪という、懐かしの西部劇ファン向けオールドムービー、かと思いきや。
  • 脚本がハンパない出来。ラストに近づくにつれ、陳腐な言い方だが予想をつかせない展開が矢継ぎ早におそってきて、緊張のあまり体中の筋肉がこわばった。
  • 駅馬車強盗のリーダーを捕縛した鉄道会社幹部から、裁判所のあるユマまでリーダーを護送する役目を請け負った、零細牧場の男。目的は、請負代金の200ドルを借金の返済にあてるためと、もう一つ、なくした誇りのため。一方のリーダーは、手錠につながれながらも余裕綽々の態度で、隙をついて、護送メンバーを一人また一人と手にかけていく。そのたびに逃げ出すリーダー。そのたびに追いつき、捕縛し、また護送をつづける一行。
  • その繰り返しの中で、"絆"のようなものが、男とリーダーの間に芽生えていく……かのように見えて、その芽生えが"無法地帯としての西部"に刈り取られていく。刈り取られたところに"親子の絆"や"使命感"がまた、種をまいていく。その構成と配置が絶妙というしかない。
  • "無法地帯としての西部"が、リーダーを奪回するために護送メンバーを追跡する強盗団だけに集約されているのではない点も、ハラハラドキドキを増す。旅立ちの町でも、護送の途中で出会う輩も、誰も彼も自らの損得でしか行動しない。法と、法を支える倫理や道徳は、そこにない。極めつけは、ユマ行き3:10発の汽車が到着するコンテンションの町において。汽車にリーダーを引き渡せるものと安心しきった護送の一行に"無法地帯としての西部"が99%の絶望をつきつける。たとえるなら、旧式の猟銃一丁を渡されて、インクリボンは無しで、ハードコア難易度設定のラクーンシティに放り出されたに近い。筋肉がこわばらざるをえなかった。
  • この日記では、明言はしてないけれど暗にネタバレ上等を貫いてきて、映画だろうが小説だろうがマンガだろうがコンテンツを問わず、躊躇せず書いてきたが、この映画については、触れてしまうのが怖い。リメイク作品なのに。惜しいと思わせる。
  • これは是非、観てほしい。

関連link:「3時10分、決断のとき」公式サイト