「WOMBS 1巻」(白井弓子)IKKICOMIX

近代化が進む軍において、軍事技術の進歩は、軍人の能力を図る上での「男女の性差の壁」を低くしてきた。ある程度の肉体的な頑強ささえ備えることができれば、男性兵士が主に担ってきた前線での役割を、女性兵士が担うことも可能になってきた。
この傾向は、遥か未来のSFの世界になればさらに進み、少なくないSF活劇は、基本的に「男女の性差の壁」を軍隊の描写でしないことが珍しくない。たとえば98年に公開されたSF映画スターシップ・トゥルーパーズ」では、男女の兵士が同じシャワールームでシャワーを浴び、その際、男性か女性のいずれかが体を隠すような素振りもない。昆虫型の宇宙人へ共に銃を持って突撃し、同じ量の銃弾を吐き出し、等しく宇宙人を潰し、等しく串刺しにされる。軍事技術の進歩は、男女の性差と性差にともなう肉体的な優劣を問わず、人間の大人であればほとんど誰もを兵士として活用してしまう。



が、軍事技術の進歩がさらに進んだ世界では、「男女の性差」が「壁」でなくなった上、一方の性が強力な「武器」になってしまうこともありえる。
「WOMBS」は、女性の性が「武器」になった、遠い未来の遠い星での戦争を描く。
「武器」とは子宮だ。
子宮の中に、その星の原生生物の体細胞(まるで「種」のような形をしている)を入れ、月の満ち欠けに応じて、星の上の特定の地点にワープする。ワープできる女性兵士は「転送兵」と呼ばれ、ワープによって兵士や武器や補給物資を送り込み、ときには敵部隊に囲まれた瀕死の味方を脱出に導く。軍の運用や攻撃・防御作戦のカギを握る、なくてはならない部隊として、「転送兵」の訓練、食事、健康・精神管理には細心の注意が払われている。



しかしながら、社会や軍隊内部の人間たちすべてが「転送兵」たちに尊敬をいだいている訳ではない。
「転送兵」になることを前提として召集令状を受けとった主人公は、恋人から「お前のハラに/いていいのは/オレの子だけだ。」「バケモノの/赤ん坊じゃない。」と引き止められる。
入隊式で「転送兵」の女性上官は、「我々は/子宮だけを提供する/「ドナー」などでは/ないからだ!」「我々は戦士だ。」「それを忘れるな。」と檄を飛ばし、プライドを誇示する。
「転送兵」反対派は、「娘たちをニーバス(=原生生物の名前)の花嫁にするな!」のビラをまき、男性兵士は嫌がらせで「転送兵」専用の通路に「転送兵モノ」(原生生物の触手に女性が襲われている)のポルノを置く。



「WOMBS」の世界における技術の進歩は、「性差」の壁を取り払うのではなく、「性差」に利用価値を見出した。同時に作者のペンは、根深く残る男女の性の非対称性をえぐりだす。



現実の世界でも、生殖医療の技術の進歩は、「胚性幹細胞」や「代理母」の形で、女性の性に利用価値を見出し、負担を負わせている。医者や医薬メーカー、ブローカーなどの利益や功名心のために利用される危険をはらんでいる。*1
一方で、当事者である女性の声が世間に届くことは少ない。どのような思いで、「胚性幹細胞」の材料となる未受精卵(多くは体外受精のために強制排卵された卵子の残りが使われ、“余剰卵”などと呼ばれることもある)の提供に応じたのか(あるいは同意なく盗まれたのか)。どのような思いで、幾ばくかのお金と引き換えに「代理母」の役目を引き受けたのか(あるいは姉妹や娘の子を産もうと決めたのか)。
「WOMBS」の世界では、「性差」の利用を軍=国家が行う。それだけに、余計に当事者である「転送兵」の声は抑圧されている。たとえば、体細胞の宿主である原生生物の姿は一切、公表されておらず、どんな生き物かも分からない生物の「種」を「転送兵」は子宮の中に押し込まれる。原生生物の影に脅えながら、主人公は手術台(両足を広げて乗せる台がついた)に座り、「自分は/臆病者で/あります――」と心の中だけでつぶやく。



空想や表現のための手段でなく、現実に利用をされてしまう女性の性(セクシュアルの性ではなくフィジカルの性)を、こうやって突きつけられるのは、正直つらい。つらいが、読んでしまう。



WOMBS 1 (IKKI COMIX)

WOMBS 1 (IKKI COMIX)




*1:宦官やカストラートが、男性の性を捨て去ることで、新たな富と名誉を得ようとした行為であるのとは対照的だ。そこで男性の性は邪魔なもの=価値が劣るものとして扱われる。おそらく、男性の性=睾丸を使った特殊兵の物語はギャグにしかならない。