48日目。逃げられない呪縛。逃げてという身勝手。





環境とCSRと志のビジネス情報誌「オルタナ」 ≫ 【原発震災】妊婦の避難を阻む呪縛
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「20人の妊婦さん、全員来れませんでした」――。事故を起こした東京電力福島第一原発から半径100キロメートル圏内に避難する妊婦らを沖縄で受け入れる活動を行う「つなぐ光」(沖縄県恩納村、金城睦代表)のブログに、今月23日に掲載された記事の題名だ。福島県内で被災した妊婦が沖縄への避難について家族で話し合ったものの、「みんな歯を食いしばっているのに、自分だけ抜け出すのは許されない」として断念したという。避難したくても出来ない「しがらみ」が妊婦らを呪縛している。


3.11が起きて、原発の爆発が仔細に伝えられるようになった1、2週間目の頃は、自分はこれと逆のことをいつも考えていた。
商店街や電車の中で赤ん坊や幼いお子さんを抱えた家族連れを見かけたり、自転車の後ろの席に園児服の子を乗せたお母さんが元気よく走っていくのを見かけると、(出来るものなら、あなたたちだけでも抜け出したほうがいい、東京だって例外じゃない)と心の中でつぶやいていた。
政府が20-30キロ圏の住民に退避勧告を出さず、ヨウ素剤も配らないのは、退避先の用意や補償、ヨウ素剤で副作用が生じた場合の賠償が怖いからであって、政府が言う安全は住民にとっての安全とイコールじゃない、年齢や性別を考慮した安全じゃない、先延ばしにしているのは在任中の不適際を問われずに済めば逃げ切れると思い込んでいるからであって、それぞれにとっての安全はそれぞれで異なるから、だから離れられるものなら離れたほうがいい、と。
どれだけ放射性物質が飛んだかが精緻なデータで事後的に分かった頃には、後手後手の行政が真面目にデータを集めてエビデンス命の頭の固い学者が概算の結果を出すのを待っていたら、一度きりの人生を棒に振りかねない、と。


でも、当時の心理状態を振り返ってみると、そういった祈りのような苛立ちのような心理は、自分の焦りの裏返しみたいなものであって、自分も逃げたいけれど逃げられないというもどかしさを、子ども連れの家族に勝手に押し付けていたように思う。
弱き人、清き人としての子どもや母親という存在に、まず東京脱出という先鞭をつけてもらいたいという、とても自分勝手な心理があったように思う。
(逃げたほうがいい)とつぶやきながら、自分が逃げるかどうかの判断を弱くて清い存在の人たちにゆだねていたように思う。
あなたたちが逃げてくれないとこちらも逃げる訳にはいかない、だから逃げてほしい、という身勝手な思いを抱えていたように思う。
実際には、西日本へ疎開した家族連れだってそれなりに居たのだから、その人たちの判断を参考にするなりすればいいのに、目につく狭い範囲の材料で、理不尽な思いをこねまわしていたように思う。
じゃあいったい何人の子どもが、何組の家族が疎開したら自分は逃げるというのか。今になっても、そんな答えは出せていないのに。