50日目。日本の原発=アフガンのケシ。
告知。旅に出るため、51日目、52日目、53日目、54日目はお休みの予定です。
特集:アヘン撲滅作戦 2011年2月号 ナショナルジオグラフィック
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/1102/feature05/index.shtml
人口の85%が農業に従事するアフガニスタン。この国の経済は、反政府武装勢力タリバンとの断絶を願う欧米諸国からの援助と、タリバンが後ろ盾になっているアヘン密売ビジネスに大きく依存している。タリバンは麻薬を売って得た資金を使って欧米の派遣部隊を攻撃する。相反する二つの収入源に頼っていることが、この国のつらい現実だ。
外国からの援助を今後も受けたければ、国の経済が「麻薬依存症」にかかっている現状に終止符を打ち、ケシ畑を一掃しなくてはならない。政府は最近になって、ようやくこの事実を認識したようだ。だが、敬虔(けいけん)なイスラム国家が一夜にして世界的なアヘン供給基地になったわけではないのと同様に、この国をケシ栽培への依存から脱却させる試みも一筋縄では行かないはずだ。
原発という毒饅頭を食べさせた側の責任 - どん・わんたろう - マガジン9 - BLOGOS(ブロゴス)
http://news.livedoor.com/article/detail/5522942/
そうした市町村に「シャブ漬け」のような原発依存体質を押しつけたのは誰だったのか。改めて考えるうち、刃はブーメランのように自分にはね返ってきたからだ。
原発を造るにあたって、電力会社は過疎化が進む自治体を狙う。その中でも寂れた地域を建設地点に選ぶ。地元住民に高値で土地買収を持ちかけつつ、首長や商工関係者らに経済効果や雇用を打ち出して説得に入る。もちろん、最初はみんな安全性を心配している。でも、1次産業主体の市町村が「皆さんの子どもたちが、よそへ行かずに働けます。工事や資材の発注は地元優先ですし、従業員も買い物をします。税収も増えますよ」なんて言われたら、心を動かされる。
国の支援も厚い。原発の立地によって、周辺自治体や県にまで各種交付金・補助金が渡される。火力、水力を含めた「電源立地地域対策交付金」だけで今年度予算に約1100億円を計上しており、当然、原発への比重が高い。名目は「国策に協力する見返り」。国も一体になって受け入れを迫るのだ。「絶対安全」の枕詞とともに。
そもそも、工場なんか来てくれないような不便な場所が多いから、話を持ちかけられた側はむやみに断れない。原発建設が取りざたされた自治体の議員に「このまちを残すために、ほかに良い方法があるなら教えてほしい」と開き直り気味に言われたことを思い出す。
原発を受け入れてしまえば、後は依存体質を深めるばかりだ。お国のために共存しているのだから、後ろめたいことは何もない。少し古い記事になるが、原発が立地する市町村の中には、固定資産税・法人税などの原発関連税収が一般会計の半分以上を占めているところや、原発関連の交付金・補助金の累計が500億円を超えたところもあるそうだ(朝日新聞・08年7月20日付朝刊)。地方交付税を受けていない自治体が目立ち、「平成の大合併」にも無縁な市町村が多かった。そして、お金に困れば、原発の増設で確保しようとする循環が始まる。クスリと同じですね。
語り尽くされたことだが、田舎にある原発がおこした電気を使うのは、都会で暮らす私たちである。自分たちから見えない場所に押しやりつつ、たっぷりと電気の恩恵を享受するために、田舎が原発への依存度を高めれば高めるほど好都合だった。その条件として持って行ったのが、交付金であり雇用だ。しかし、厳然と内包された「危険」という概念に対して、互いに見ないふりをしていたからこそ成立した取引ではあった。大きな事故が起きたいま、「毒饅頭」だったことが白日の下にさらされた。
現地で交渉するのは電力会社だし、交付金を出してきたのは国だったが、都会の私たちも黙認してきた責任を免れまい。15年前、新潟県巻町(当時)で原発建設の是非を問う住民投票が行われて「反対」が多数を占めた時、権力側や一部の全国紙、学者が向けた批判を決して忘れない。「地域エゴだ」と。「原発が特定の地域の住民の意向で設置できなくなると国全体の利益が損なわれる恐れもある」なんて記事も出た。少なからぬ都会の民が、消極的にであれ、その発想に違和感を抱かなかったのも、また事実だろう。都会は田舎に、受け入れさせるべくして原発を受け入れさせてきたのだ。
「原発は危ないか」と問われれば、もはや答えは決まっている。でも、誤解を恐れずに言えば、だからといって原発の停止・廃止を「叫ぶだけ」というのは、都会人のエゴである。少なくとも、原発と共生せざるを得なかった人たちの存在を無視してはならない。長いこと札びらを切って引き受けさせておきながら、「事故が起きたから廃止しますので、もうお金は出しません」では、あまりに身勝手だ。交付金の額は発電量などで決まるため、停止しただけで地元自治体はすぐに干上がってしまう。毒饅頭とはっきりしてもなお、原発に頼らないではいられない。
原発をなくすことによってライフスタイルの変化を強いられるのは、都会に暮らす私たちだけではない。原発の地元がどう生きていけば良いのか、代案を示し納得してもらう責任が都会の人間にはある。少数派だからと言って、田舎をバッサリ切り捨てることがあっては絶対にいけない。そこまで目配りをした「脱原発論」でありたい。
アフガンでタリバンや汚職警官が、地元民にケシ畑を栽培させて、そこからの利益を活動資金としている(とよくされている)構図は、日本政府・電力会社・科学者が、過疎の地方都市に原発を建てて在住者を雇用し、原発から得られる莫大な電力や天下り団体や再処理計画で甘い汁を吸っている構図とよく似ている。アフガンの地元民の多くがアヘン中毒になりケシ栽培から離れられなくなっている構図と、原発の街が多額の補助金で地元からの税収の少なさを穴埋めせざるをえない構図も。
特集:アヘン撲滅作戦 2011年2月号 ナショナルジオグラフィック
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/1102/feature05/_05.shtml
だが現在、同市とその周辺は「ケシ経済」からの脱却に成功したように見える。もともと周辺部は、アフガニスタンの代表的な農業地帯とされてきた肥沃(ひよく)な地域だ。今は野菜畑が広がり、赤キャベツやトマトが鮮やかに色づいている。ジャラーラーバードの通りは国内有数の繁華街となり、にぎやかな卸売市場にはスイカやジャガイモ、カボチャ、オクラ、タマネギなど数十種類の作物を満載したトラックが毎朝、何百台も到着する。
どの農産物も、金銭的な価値ではアヘンに及ばない。市場で会ったジャガイモ農家の男性は、生活費が足りなくて夜は警備員の仕事をしていると打ち明けた。「それでも後悔はしていません。もうケシを栽培しなくていいと思うとうれしいんです」
州都から南に下って、ヤギバンドという村を訪れた。以前はケシ栽培にほぼ頼り切っていた村だが、今では綿花やコメ、ブロッコリーなどを育てている。田畑を見下ろす部屋で、部族の長老たちが「ケシ経済」から脱却した後の暮らしを振り返ってくれた。「生活のレベルは5年前より落ちました」と、長老の一人は言った。「それでも収入は以前の6割くらいあります。それに新しい事業にも期待がもてます」
その一つは水力発電を利用した織物工場で、米国国際開発庁の委託を受けた企業が建設した。ナンガルハール州では、こうした事業が次々に進められている。農業用水のダムと水路、新しい橋、女性たちの織物協同組合、ポテトチップス工場、はちみつの精製所、ジャム製造工場、そしてジャラーラーバード市内の卸売市場……。私が訪問しただけでも、これだけある。外国からの援助は、数え切れないほどありそうだ。
卸売市場のフワジャ・モハンマド副場長はNGOの貢献を高く評価しているが、こう付け加えるのも忘れなかった。「アフガニスタンは今も交戦状態にあります。まだ、自力で立つことはできないのです。30年間も戦争が続いた国は、復興までに80年かかるかもしれません。農家への支援が長続きしなければ、ケシ畑がなくなることはないでしょう」
「日本の原子力は全体が利権になっている!」河野太郎議員会見 - BLOGOS編集部
http://news.livedoor.com/article/detail/5525056/
福島の事故のあとは政治の意志として、新規立地はやらない、危険な原発は止める。安全性の再確認をきちんとやる。これが必要だ。新規立地をやらなければ、原発の耐用年数は40年のため、2050年には全ての原子炉が廃炉になる。そうやってだんだんと原発が無くなっていく過程で、一つは、合理的な省エネをしっかりやる。電球をLEDにするとか、消費電力の少ない家電に取り替えるとか。もう一つは、原子炉が無くなる2050年には、日本は再生可能エネルギー100%でやろうという政治的目標を掲げて、研究の支援や、電力の買取制度など、政治が旗振りをして行くことで、世の中をそちらに向けねばならない。それで足りなければ、最もクリーンな天然ガスを中継ぎに使っていくべきだと考えている。
保坂区長「原発克服」で連携へ 南相馬市を訪問 - 47NEWS
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011042901000621.html
放射線除去技術の研究者や企業を集め、南相馬市を原発克服の拠点とする復興構想を打ち出した桜井市長に、保坂区長は「研究者や企業は東京に地の利がある。いい形でリンクしたい」と協力を申し出た。
桜井市長は「原発災害からの再生のために知恵を出し合う話し合いのテーブルを早くつくりたい」と語り、「プロジェクトが具体的に始動すれば、雇用の場も生まれる」との見通しを示した。
アフガンでケシの代わりに赤キャベツや綿花などを栽培しはじめたように、福島や世田谷区から原発の代わりとなる次世代エネルギーの開発・研究がはじまっていっていい。