8/24。

  • 3年ぶりに匿名ダイアリーを使った。エントリ内容に色がつきにくい分、主張をプレーンに評価してもらいやすい。少しすっきりした。
  • アフタヌーン 10月号 + 四季賞ポータブル2011年夏のコンテスト(審査員:谷口ジロー
    • 四季大賞は井上文月の「ZNTV東京支局」。2019年、東京上空で隕石が爆発。瓦礫の山と化した街は放棄され、分厚いコンクリート壁で封鎖。首都機能は大阪に移転した。それから18年後。「全日本テレビ局(ZNTV)」の九州支局に務めていた記者・芹沢蒼は、セクハラ上司を殴って東京支局にとばされる。そこで、メディアが伝えてこなかった壁の内側の現実に直面するが――。
      • ネームの多さがほとんど苦にならない。一気に読ませられた。伝えたいことがしっかりと伝わってくる。読めたことがうれしい、そして、このようなマンガを四季大賞として世に送り出してくれたことがうれしい、そんなマンガ。
      • 2037年という時代設定は、特に大きな意味を持たない。今から26年が経ったとして、既存メディアとWEBの関係が2011年の今とほとんど同じということはまずありえないはずなので、そこに違和感を抱くと言えばそう。また、おそらく物語の舞台を現代のパレスチナチェチェンといった実質的な隔離地域に移して描くことも可能だろう。大災害を経た数十年後の日本を舞台とする必然性は、この物語のテーマ=“伝えるべきことを何故伝えられないのか、伝えようとする努力にどんな意味があるのか”にとって、それほど大きくない。
        • でも、読み手の感情移入や分かりやすさを優先すれば、これでいい。今と変わらない近未来の設定は、テーマの追及と物語の構成においてプラス要素に働いている。それに、自分たちはもう目の当たりにしている。決定的に回復不可能な原発事故が起きたというのに、一向に変わらない政府や財界、学界、有権者の一部を。だからきっと、東京が瓦礫の山になったくらいでは、十数年後も日本はそうたいして変わることはないんだろう。
      • 以下は、構成面の話。
        • クライマックス一歩手前。孤児仲間を強姦して死亡させた犯人に突きつけていた銃口を、孤児たちが自らの頭部に向け、スタジオのテレビカメラに向かって「今夜/一晩くらい/オレたちの/ために」「―――……/悪い夢でも/見て/ください」と告げる。これをくいとめるため、スタジオの天井にひそんでいた元孤児の記者が、銃を撃って、孤児たちの手の甲に銃弾を掠らせ、頭部に向けていた銃を取り落とさせる。
          • このとき、元孤児の記者は、孤児たちを狙う前に、2台の中継カメラにつながるそれぞれのケーブルを銃弾で切断している(そのように読めるコマ割となっている)。それから、6人いる孤児のうち4人の銃を取り落とさせ、床に着地後、1人の銃を足で跳ね上げ、銃を頭部に突きつけた孤児が1人残る。しかし普通に考えて、このような緊迫した状態では、どんなに素早く銃を撃てたとしても、ケーブルを切断した2発の銃弾の音に気付いた孤児6人の誰かが、手の甲を狙われる前に、頭部にあてた銃の引き金を引いてしまっておかしくない。つまり、この元孤児の記者は、孤児の命より、自殺のシーンがテレビ放送されてしまうリスクの回避を優先している。
            • 一方、このクライマックスより前、孤児たちが強姦犯の殺害場面をテレビ中継させるため東京支局を占拠した場面では、中継をしぶる大阪支局の責任者を説得するため孤児たちに「オレを殺せ」と炊きつけた東京支局長代理を、元孤児の記者は「アンタまで/この街の子どもを/利用しないで/ください」と諌め、孤児たちの境遇を慮る心根を窺わせている。だから、クライマックスで孤児の命より自殺シーンの放映という放送事故を未然に防ぐことを優先した選択は、一見、孤児たちを慮った態度と矛盾している(もしくは孤児たちを慮るように見えた態度は本心ではなく、別の打算による行動だった)ように見えてしまう。
              • が、ここでもう一度クライマックスシーンをよく見ると、銃弾が発射されるシーンには一切、銃撃の音が描かれていないことが分かる。したがって、元孤児の記者が使用した銃は消音仕様の可能性がある。消音仕様であれば、孤児たちに銃撃音を気付かれず、まずカメラケーブルを切断した後、手の甲を狙って銃を取り落とさせることも可能だろう。手の甲を狙って落とせた人数が4人で残り2人を狙わなかったのは、元孤児の記者の射撃技量の限界や、位置していた天井の場所か残り2人の手の甲を狙うのに不適当だったことなどが考えられる。
                • もちろん、クライマックスの緊迫度から推測して、演出技法の一つとして銃音をあえて描かなかった可能性は残る。また、銃口の先に消音装置らしきものは見えず、銃身全体は通常の長さで描かれている。ただ、孤児たちが東京支局を占拠した場面における元孤児の記者の態度との整合性や、2037年という時代設定と科学技術の進歩を考え合わせると、消音仕様の銃で、カメラケーブルを切断した後、天井の位置から銃撃が可能な4人を狙った、と見なしたほうが自然だろう。
                  • ……と書いたが、さらによく読むと、前に強姦犯を引き渡した警察菅が強姦犯に買収されて強姦犯を逃がしていたことに怒った孤児が、警官を銃で撃とうとした場面で、元孤児の記者が撃ったと思われる銃の「バン!」という銃声が描かれていた。だから、銃はやはり消音仕様ではなく、カメラケーブル2本を切断して孤児4人の銃を取り落とさせたのは、元孤児の記者の神業のたまものだったと考えたほうがいいのかもしれない。
                    • 元孤児の記者は、カメラケーブルと孤児たちが自らの頭部に向けた銃を持った手と、どちらを先に撃つべきだったんだろう? ケーブルを切ってしまえば、自死のシーンをテレビ中継できないから、自殺する意味がなくなる。だから、ケーブルを先に撃って、その上で、撃てる範囲の孤児たちの銃を取り落とさせた、と物語ることはできる。けれども、ここまで、世間から一切省みられることがなかった孤児たちの悲鳴と覚悟がこちらにはビンビンと伝わってきているので、孤児たちがすぐにも引き金を引いておかしくないように思えてしまう。それだけに、「ケーブルが先でいいのか?」と立ち止まってもしまう。
  • ジャンプ改 03