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- ナショナルジオグラフィック 10月号
- 週刊読書人 9月30日号
- SIHGT 2011AUTUMN Vol.49
- 特集タイトルは“私たちは、原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています。”。その通り。もしくは逆もしかりで、日本を変えるには原発を止めることが有効。原発問題に取り組むということは、戦後66年のあらゆる問題に頭と手を突っ込むということにイコール。約半年、自分なりに情報の咀嚼と行動への移行をやってきて、つくづくそのことが身にしみる。
- 原発問題に関わってきた各分野の一人者へのインタビューで構成。政治、行政、アカデミズム、フィールドワーカー、司法、企業、メディア、世間。中でも、各地で起きた原発の建設差し止め・建設許可取り消し訴訟で原告団の弁護士を30年近く務めてきた和田光弘さんの言葉、「司法で止めるっていうのは、よっぽどのことでなきゃできない話なんで、勝ったところはみんな行政で止めてるんですよね。」が重い。裁判でなぜ、原告が負け続けてきたか。根本のところにあったのは、司法・行政側の「オレの責任じゃない」「オレの役割じゃない」という姿勢。在職中さえ乗り切れればいいという、とてもせまっ苦しい世界でのみ通用する合理性にもとづいた逃げ切りの論理。原発を受け入れた町、受け入れさせた世論も背負っていた論理。
- たとえば、原発の設置許可は、提出された書面の出来次第で判断され(それも不十分な点は規制官庁の通産省が添削指導してくれるので修正に応じ続ければ最終的に必ずゴーサインが出る)、手抜き工事をしても「それは電気事業の施設の工事認可の問題」とかわされる。配管が年月を経て腐食して重大事故の可能性を高めても「応力腐食割れについては一切考慮する必要はない、それは原発の基本設計認可とは関係ない」と逃げられる。高裁で一度、無効判決が出たもんじゅのケースがどれだけ異例だったか(それも最高裁で覆った)。