今日のアナーキズム

 浅羽通明の「ナショナリズム」を読み終わり、対で同時発売された「アナーキズム」を読み始める。
 まず序章。近代において創造された「個人の自由」を徹底的に広めるのがアナーキズムの最終目標なら、権力による平等、規制がなくとも自制できる聖人君子がすべての人間でなければならない。権力の中央集権化を先鋭させてそれを果たそうとした社会主義が倒れたからといって、国家を超越しようとするグローバリズムがその代案になるのか、といった提起で始まるストーリー。


 で、1章に入ったばかりなのだが、冒頭の書き出しになかなかしびれた。これはうまいハッタリ。

大杉栄は、『広辞苑』(第四版)が「無政府主義者。」と定義した、ただひとりの日本人だ。

 広辞苑によると、幸徳秋水は「社会主義者」で伊藤野枝は「婦人運動家」なのだそうだ、あくまで。広辞苑によると、西洋から輸入された個人主義を日本でもっとも体現できたのが、オオスギ・ザ・アナーキスト。辞書界の最高権威にそう定義されて大杉はうれしくもないだろうが。


 あと、1章直前に挿入されているアナーキズム座標図で、個人+夢想系アナキストのかなり極大位置にいる人物として、笠井潔があがっているのは、どのあたりをそう評価されたのか、こちらも読み進めるのが楽しみである。