「下山事件」(森達也)新潮社

下山事件の概略ははてなキーワードにゆずるとして、この本は、下山事件の新たな謎解きを読者に体験させるのではなく、その謎解きに繋がるかもしれない未知のスクープネタをめぐるマスコミ人メディア人たちの「仁義」の葛藤物語を、森の視点から描いたものだった。

かつて下山事件に関してはいくつもの説や著作がフィクションノンフィクション問わず出されており、この森の本も、そこからの引用が半分以上を占めるといっていい。そういう意味で、新鮮味は薄い。

けれども、取材の過程を時系列で追い、オウムのドキュメンタリー「A」の撮影時期と重なる頃の思いが書かれる箇所や、取材費と発表媒体を獲得するため週刊朝日と組んでからの物語は、そちらの足取りを具体的に読むことのほうが面白くなる。

『彼』という人物から持ち込まれたネタを最初の手がかりに、老境のジャーナリストを加えて取材を続け、週刊朝日の記者が加わり、しかし老ジャーナリストが取材半ばで亡くなり、しびれを切らした朝日に森の承諾なく勝手に連載記事化される寸前までいき、結局は森の名前で2回目以降を引き受けた連載は、森のこの本が出る2年前に件の記者の単著で出される。一方で、森は、下山事件の取材であることを隠して接近した事件にかかわりの深い人物を結果的に必然的に裏切ることになる。


まぁ、よくあるマスコミ仁義のドロドロである。そこを隠さず書いて、それが面白いのだから、それで個人的には満足した。



ただ気になるのは、はまぞうのISBN経由でほかの人の感想を読んだ「下山事件―最後の証言」(http://d.hatena.ne.jp/asin/4396632525/mitteiomasa-22)について。森の「下山事件」で出てくる『彼』が著者なのだが、どうやら森の「下山事件」の中で『彼』のことに関して捏造があるらしい。
ここからはまったくの想像なのだけれど、なんとなくだが、おそらくその捏造とは、初め森が書くことになっていた週刊朝日の記事は途中から『彼』に依頼する方針になったという記者の説明を森が受けたこと、ではないのかしら。『彼』にして見れば、途中から思い直して自分も書きたいと思っていたのに、結局、森と記者とで連載を始める形になったのは不満だったろうし、他の感想では、捏造の件は森と『彼』のどちらが正しいとも分からないような書き方が多かったし。いや、「最後の証言」読めば分かることだし、次に読んでみようと思ってはいるのだけれど。


このあたりの仁義のあれこれは、証拠が残らないから、真相が分かりようがないのだけれど、こういった話のときによくある徒労の感触をさほど読み手に与えないのは、森のロマンチストな主観描写に中和されるからだろう。



下山事件うんぬんでなく、ジャーナリストの意地とエゴの物語を読みたい人に。


下山事件

下山事件