気になってるマンガの感想を羅列させてもらうよ。
- 紙屋研究所の案内図――花沢健吾『ボーイズ・オン・ザ・ラン』
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/boysontherun.html
『宮本から君へ』は、労働という日常、そして恋愛さえもが妄想や欲望を許さないリアルへと傾斜しているのだ。中野がレイプされてしまうシーンは、正直本を再度開くのもためらわれるほどに凄惨である。強姦シーンは、描きようによってはいくらでも「欲望」的に描ける。仮に「ちはるちゃん」がレイプされているシーンであれば、何度でも見たいという読者はそれこそごまんといるだろう。
なるほど、田西のダメっぷりの描写はイタいに違いない。それは田西の分身である、オレらダメオタの日常である。
しかし、田西がダメであればあるほど、読者は田西に自己投影し、同時に「植村ちはる」がそのダメさからの救済者として、あるいはその欲望の注入先としていよいよ明瞭に登場してくるのである。
『宮本から君へ』が暑苦しいまでに日常のリアルに目を向け続けたのにたいして、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』は同じようなテーマを扱いながら、実は労働と恋愛という二つのリアルさにはどちらも格闘していない。
つまり、『宮本から君へ』を虚実逆転させたのが『ボーイズ・オン・ザ・ラン』だといえる。
おそらくみんなが感じていた2作品の類似点、に加えて相違点を妻ビラつまびらやかに。「まだ」格闘していないのか「最後まで」格闘しないのか。そこを見届けたくて立ち読みを続ける。そりゃもう、面白いってこととほぼ同義。完結した時にクソマンガになってたって、現在進行形で99%気になってりゃ。「宮本から君へ」がスキだった自分が「島耕作」を嫌い(特に今、イブニングでやってるヤング版)な理由も一部見えてきた。
- まんがたうん――「ボーイズ・オン・ザ・ラン」花沢健吾 小学館(ビッグコミックスピリッツで連載中)
http://www.mangatown.mainichi.jp/portal/special/tsubuyaki/contents/076.html
掲載誌が「ビッグコミックスピリッツ」ということもあって、メーンの読者層はサラリーマンが多い。田西のかっこ悪さはぶざまというほか無いが、彼はそれでも力いっぱい生きていて、その様子に共感し、自分に照らせ合わせて読んでいる人がほとんどなのではないだろうか。
どこ学園の優等生だ、お前は。応援しているようで応援してないような気もする、そんなB.O.T.R。
- ポトチャリポラパ/コミック――「ボーイズ・オン・ザ・ラン」 3巻 花沢健吾(小学館)
http://www3.plala.or.jp/sukekyo/comic/2006/c0607.htm#c21
・これ、イケメン視点で考えると、イケメンは悪いことをしてないんですよ。これが最大の謎。イケメンは段階を踏んで、フリーになった女の子とつきあい、段階を踏んで男女のカンケイになり、むこうも同意してる。そして、男女間のもつれとして別れる。それがセーフでもアウトでもそれは男女間のコトですわな。で、別れたあとに女性は妊娠したことを知る。でも、イケメンは顔こそ出さないまでも金を出すという、まあ「オトナ」の対応をしました。
・主人公はこの間、まったくの部外者だし、いろいろなキャラにもそういわれてるし、自分でもわかってそうです。だけど、憤り、ケンカを吹っかけるのです。
・前作「ルサンチマン」でもそうでした。直情径行がブサでヘタレの皮をかぶった主人公です。彼の行動は純粋に自己満足です。復讐でも正義の行いでもありません。「スキだった女を泣かせたから殴る」というのみです。そのためにボクシングをならうって展開になっているのです。
・ま、よく似てるとされる「宮本から君へ」というマンガにおいては、主人公の彼女がレイプされたから復讐するという大義名分がありました。ボクシングで復讐というつながりでは映画化された「フライ、ダディ、フライ」もありましたね。これは娘がレイプされました父親が復讐です。
・これに比べるとかなり弱いんですよね。大義名分の「義」がないんですよ。だから、とても謎なんです。もっと悪くするのはカンタンでしょ? たとえば「ONE PEACE」の敵役のようにわかりやすいくらいえげつないことをさせればいいんです。そいで、ぶん殴りやすくするだけでいいんですよ。
・ところが、このイケメンは、最初から怪しさをかもし出してはいましたが、実に紳士でイケメンなんですね。嫌う理由が少ないわけです。実に3巻までの間にも冷静に考えれば考えるほど主人公が殴る理由がまったくない。それは上記のとおりです。・それなのに、「殴るべきだ」という演出を作者は施してる。それが謎。つまり、作者が主人公に無用の暴力を煽ってるんですよね。その構図がなんかとてもイヤなんですよ。
すごい空回りで非建設的な一人相撲を取っている(作者が取らせている)主人公が、それでも、だからこそ気になる。スピリッツへの持ち込みをマンガに仕立てたある同人誌で、スピリッツ編集長の言葉として、「うちを読んでるのは、夢だったりをあきらめきれない人たち」という趣旨のことを書いていた。小学館なら、サンデーは頑張れば夢は報われるという少年誌的な夢を与えて、ビッグコミック系は先の見えてきた人生を一部納得する余裕も出てきた人向け、というスタンスとの違いから。
- [弐] 第弐齋藤 | 土踏まず日記――花沢健吾『ボーイズ・オン・ザ・ラン』3巻
http://sto-2.que.jp/ndiary/2006/07/200607151.html
よく聞けっ!!
メス豚どもっ!!俺だって一度も
挫折した事ねーぞっ!うるせぇなぁ。 そんなことほざいてる暇があるんだったら黒沢さん連れて来いよ! それでぜんぶ解決するっつーの! この男の情けなさと黒沢さんの人生以外はさ!
黒沢さん、今は指導者として頑張ってるよね。ビッグコミック系で唯一、あきらめてない人として応援したい。
で、B.O.T.Rの主人公クンは、まだまだ若いのだから。
生まれてこのかたケツまくって逃げ続けた28歳だかの男の子がようやく奮起して戦うことを選択する。
たぶん、この男の子が学ばなくちゃならないのは、「でも、やり方はあるよ」ってニヤリと笑うことだと思うな。 そりゃ負けるかもしれねえし、っていうかほとんど負けることは決定されてんだけどさ。
そういうことだよな。読んでて自己投影はするけれど、このマンガに関しては最終的な救済を望んでる読者は多いかしら? あきらめきれないって思いは、何事にも本気で挑戦してこなかったグズ愚図と入れ子構造だよ。