ジャーナリストのポリトコフスカヤ女史殺害。プーチンマンセーのイニシャルNDはちゃんと読んどけ!(兼私信)

 http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=1971&LastModified=4675592693771376004

10月8日づけのインターネット版「ラジオリバティー」ロシア語版サイト
http://www.svobodanews.ru/Article/2006/10/07/20061007214906310.html
アンドレイ・バビツキー記者は、アンナ・ポリトコフスカヤ記者が、最近、ラムザン・カディーロフの支配するチェチェンの実態を追求していたことと、]暗殺が無関係でないことを指摘した。彼の見方では、暗殺はラムザン・カディーロフ配下のものが実施したというものだ。

 http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=61383&log=20061009

ラムザン・カディロフチェチェン人だ。それも、独立派を裏切ってプーチンに忠誠を誓った私兵集団・偽イスラム聖戦士部隊のボスで、現在のチェチェン・親ロシア傀儡政権の第一副首相だ。
バビツキー自身が2000年に、カディロフ部隊のものかどうかは定かでないが、ロシア秘密警察FSB指揮下で動く偽イスラム聖戦士部隊に誘拐され、あわや一命を取り留めている。
2001年に私が従軍取材したチェチェン独立派部隊の中にも、ニセモノのグループが紛れ込んでいて、これはロシア側に情報を流していただけでなく、私の生命にとってもっとも危険な存在となっていた。
ナチス占領下の東欧でも、日本占領下の朝鮮半島アジア諸国でも、実際に蛮行を働くのはこうした裏切り者たちが中心であったりする。

 http://chechennews.org/chn/0621.htm

ポリトコフスカヤは、プーチンに対する批判者であると同時に、カディロフに対する強烈な批判者だった。その感覚はわかる。プーチンチェチェン戦争によって大統領に上り詰め、チェチェンをぼろ雑巾のようにし、ロシアも、意味は違えど相当にひどい状況だからだ。そしてカディロフは私兵集団「カディロフツィ」を率いて、ロシア軍を後ろ盾にして、同じチェチェン人たちを誘拐しては拷問し、身代金を奪ってきた。

たとえば、ポリトコフスカヤを殺したのはチェチェン人ではないかと疑うこともできる。そうだと八方都合がよい。カディロフの部下ではないにしても、少し頭のおかしいチェチェン人が、「復興の進むチェチェン」の正しい姿を伝えようとせず、足をひっぱるジャーナリストを殺す。世界中が「徹底捜査を」と叫ぶ中、いとも簡単にそのチェチェン人は捕まり、プーチン政権とカディロフの両方からいいように罵られる。世界もその筋書きを、少し首をかしげながら、なすすべもなく飲み込んで、わすれる。
ちょうど同じことが、北オセチア・ベスラン学校占拠人質事件のとき、ヌルパシ・クラーエフという青年の身に起こった。ゲリラの中で一人だけ生き残った彼は、家族に言わせれば「ロシアの刑務所に入っていたはずなのに、なぜあそこにいたのか、わからない」ということになった。

とてもよくあることとして書くと・・・チェチェンの若者が、ロシアのどこかの町で警官に呼び止められ、さしたる理由もなく留置所に入れられ、出られなくなる。何かの犯罪を犯したという自供を強要され、拷問をうける。大怪我させられたあとに待っているのは、取調室の上に広げられる、真っ白な紙だ。ここにお前のサインをしろと、最後に強要される。その紙は何に使われるかわからない。
ポリトコフスカヤの事件に、こんなことが起こらないとは限らない。誰が殺したにしても、最終的な目標は達成できるからだ。私も含めて、人はときどきすごく単純な考え方を受け入れてしまうから、チェチェンのごく普通の人々のために書きつづけていたポリトコフスカヤが、そのチェチェン人の誰かに殺されただけで、それまでの仕事がだいなしになったように感じられてしまう。
いつか、書店で誰かが訳知り顔に、「でもこの人、チェチェン人に殺されちゃったんだよね」と語るようになってしまえば、戦争を肯定する人々、チェチェンの占領によって利益を得る人の誰にとっても都合がいいのだ。「犯人」となった若者が自分に起こっていることを理解して証言を変えても、世界はそのころには関心など持っていない。
1996年のこと、停戦中のチェチェンに国際赤十字の医師と看護婦たちがやってきて、医療活動を展開していた。しかしある晩、6人のスタッフたちがウルスマルタンの宿舎で眠っていたところに、何人かの武器を持った男たちが押し入り、その人々を銃殺した。一人だけ生き残った看護婦は、犯人が「チェチェン語を話していた」と取材に答えた。この事件の真実はいまもわからない。けれど、チェチェンから赤十字が撤退し、OSCEが撤退し、外国人のまったくいない危険な地帯に逆戻りするために必要な条件は、ほとんどこの一言でつくられたのではないかと思うほど、強烈な事件だった。
私たちがこのアンナ・ポリトコフスカヤ暗殺事件の衝撃を受け止めて、安易な判断に走らずにぐっと持ちこたえることができるか、今はそれが問われているのだと思う。逆に言えば、私たちのまなざしそれ自体が、世界の片隅にあるチェチェンの在りように、影響を与えているということではないだろうか。

  • ロシア「第二与党」で翼賛強化 大統領3選へ改憲か(時事)

 http://www.chunichi.co.jp/00/kok/20060907/mng_____kok_____001.shtml

ロシアで近く、3政党が統合され、最大勢力「統一ロシア」に次ぐ第2の政権与党が誕生、中央、地方議会とも議席の大半を政権支持勢力が占める「翼賛体制」がさらに強化される。2008年3月の大統領選をにらみ、プーチン大統領の3選を可能にする憲法改正への布石ともみられている。
統合を表明しているのは、「祖国」「生活党」「年金者党」の3党。早ければ今月中にも新党が発足する見込みだ。
現在、3党は野党だが、生活党のミロノフ党首は6日付週刊紙「論拠と事実」とのインタビューで「(新党は)大統領の打ち出した路線を支持する」と明言。ロシア大統領府のスルコフ副長官も「政権がしっかり歩むには二本の足が必要」と述べ、新党が政権与党になることを期待した。
「第二与党」結成の狙いについては、「最大野党の共産党つぶしと憲法改正をにらんだ動き」(ロシア政府筋)との見方も出ている。
現行では禁じられているプーチン大統領の3選を可能にするための憲法改正には、上院の4分の3、下院の3分の2、3分の2以上の地方自治体議会の承認が必要だ。
このうち下院は政権与党「統一ロシア」が既に7割近い議席を占めている。統合後の新党が与党となることで、下院の大統領支持勢力は85%を超えることになる。上院も実質的なプーチン大統領の任命制となっており、政権のコントロール下に置かれている。
問題は地方議会の勢力図だ。シベリアや極東では依然、共産党過半数を占める議会もあり、今後の各地の選挙情勢次第では地方議会の3分の2以上の憲法改正承認は微妙な情勢となる。
このため、地方での共産党弱体化がプーチン3選への道筋づくりに欠かせないが、3党はいずれも「働く者の権利を擁護する」と共産党と同じ主張を展開。地方で同党の票を食い躍進してきた。統合後は政権からの資金も得て、共産党つぶしの戦略を強めるとみられる。

 http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20060923AT2M2301J23092006.html

ロシアのプーチン大統領シラク仏大統領、メルケル独首相との会談後の共同記者会見で、「ロシア憲法の規定を守り、(2008年の)大統領選に出るつもりはない」と明言した。国内では既に出馬を否定していたが、国際社会に対して初めて3選の意志がないことを示した。
ロシア憲法は大統領の3選を禁じているが、ロシア国内ではプーチン大統領の続投を求める声もあり、憲法を改正して大統領選に出馬するとの憶測も出ていた。今回の発言を受けて後継者争いが激しくなりそうだ。

 http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/2006-09-28T054335Z_01_NOOTR_RTRJONC_0_JAPAN-230025-1.html

ロシア中央選挙管理委員会のベシニャコフ委員長は27日、プーチン大統領の3選を可能にする国民投票の実施に向けた要請を却下した。これにより、プーチン大統領が予定通り2008年に退陣する公算が強まった。
プーチン大統領は、4年の任期を3期連続で務めることを禁じた憲法に則り、2008年に退陣すると表明しているが、大統領の支持勢力は、憲法改正を求めて国民投票の実施を正式に要請していた。

 http://www.rian-japan.com/news/details.php?p=370&more=1

北オセチア出身の国民投票実施の発案者は時期的に発案時期が少し遅れたようだ。ロシアの法律では、連邦の選挙の1年前以内は国民投票を行なうことを禁止している。下院選挙が2007年12月に控えており、残った2ヶ月で国民投票を準備し実施することは不可能だ。この提案には、中央選挙委員会のメンバーも満場一致で賛同し、全員が国民投票実施に反対票を投じた。

しかし、論点は、憲法を変えることは可能でありこのために国民投票を実施する必要はないという側面にもある。今秋、下院は、大統領任務を2期連続それぞれ4年間と限っている憲法条文の撤廃を提案したチェチェン議会の発案を検討することにしている。チェチェンの提案が効力を発するには下院の3分の2(300議席)、そして上院の4分の3(132議席)の賛成が必要だ。この後、3分の2以上のロシア連邦構成体が賛成する必要がある(59の構成体の承認が必要)だがこれは単なる手続きだけ問題である。
アナリストたちは、プーチン3選目の出馬に道を開いているこの種の制限撤廃は本年はいずれにせよ承認されないだろうと考えている。下院で憲法上の過半数を占める「統一ロシア」の立場として、現在の議会会期中で現行憲法を変えずに保存することが重要であるとの表明を憲法法葎委員会議長のウラジミル・プリギンも最近行なった。
言い換えれば、「3選」出馬賛成者が自分達の意向を達成させるため新しい可能性を探しているようだが、現大統領も含めた「憲法擁護者」もうまく自己の主張を防衛している。


 プーチンの誕生日に殺害を決行した(させた)人物がチェチェン人であるかどうかまだ分からない。が、再来年の3選を心底願う一派によるものだろう。一方で、今のロシアにおいて、それに該当する人間は数百万人の単位で存在する。





 米沢嘉博氏の突然の訃報に際して思ったのは、マンガ表現の規制に反対する立場に賛同を表明しながら、それ以前から表現の自由によって何が可能なのか、そのことについての功罪の双方をコミケという場で体現してきた中心の人物がいなくなってしまたのだな、というポリトコフスカヤのような発言者としての米沢氏だった。去年6月にあった松文館「蜜室」裁判の控訴審判決でも姿を見かけたし、その2ヶ月後にあったエロマンガ IS DEAD (OR ALIVE) 4でも、ためになるディスカッションができた(そういえば、最高裁判決は一体いつ、出ることになるのだろう?)。表現論や著作権方面で活躍する作家や評論家はまだいるが、自分の得になるわけでもない対行政・司法・警察方面で動いている業界内の人物は案外、少ない(社会学者や弁護士、法律家ではいても)。そんなスタンスをとってくれる人物が、またコミケから出てきてくれるだろうか。