8/30選挙と坊さん。
昨日まで祖母の初盆で帰省していた。
実家と坊さんとの付き合いは長く、30年以上前に亡くなった曾祖母は先代住職が弔った。先代の跡目を息子が継ぎ、その息子=坊さんが去年の祖母の葬儀でも、お経をあげた。両親によると月命日も欠かさずきてもらっていたという。
そんな縁の深い坊さんだから、肝心の初盆の開始時間に遅れるということは予想していなかったし、しかも、その理由の一つが「地元選挙区の民主党候補の選挙対策副委員長を兼任してて忙しいから」だとは思いもしなかった。毎日、袈裟とスーツを交互に着替えて、「(五分狩り頭を)坊主頭にする暇もない」くらいなんだとか。しかも、お布施を受け取ったその手で、胸元から別の紙束を取り出すから何かと思えば、「お知り合いの方を是非、紹介してください」と公選ハガキの束を渡された。
このことを選挙マニアの友人にしたところ、「投票率の高いお年寄りに影響力のある、坊さんを選対の中心に据えるのは上手い策だと思う。相手候補(=自民)には創価学会(=元日蓮正宗系)がついてるから、これに反発して、坊さんたちも協力する気になりやすい」という見方を披露してくれたが、自分にしてみれば、生臭い世俗の些事を初盆に持ち込まれて、TPOをわきまえない坊さんだなという不快感のほうが大きかった。稼ぎ時の盆だというなら、本業のほうにもっと専念しろよと。
8月の国政選挙は戦後初めて*1だから、選挙の応援期間と盆が重なることは過去になかった。もともと、盆に坊さんが忙しくなるのは当たり前だから、選挙と盆の時期が重なることが嫌われてきたこともあった。そういう事情もあって、これまで盆に選挙を意識することはなかったものの、今回は状況が異なる。今、帰省している田舎で、同じような「お願い」に遭遇している人はきっと、少なくないのだろう。
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新興宗教はともかく、伝統仏教と選挙、政治の関係については、これまであまり意識したことがなかったが、当然ながら働きかけはある。しかも与党と野党の両方へ接近している。
さて選挙です。公明党は創価学会の政治出先機関。自民党、民主党はこの春、「参議院自民党全日本仏教議員連盟」、民主党は「民主党仏教議員連盟」を立ち上げました。それに呼応して浄土宗(知恩院)が6年前に続き自民比例区代表を推薦。そこには曹洞宗、日蓮宗、天台宗などが名を連ねています 浄土真宗本願寺派(西本願寺)は比例区で民主新人、大阪選挙区で自民現職を推薦。天台宗のトップ、天台座主渡邊恵進は、日本会議の中央役員。この日本会議は戦前回帰の靖国思想の団体です。
http://yasaemon.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_c711.html
(2007年7月7日)
浄土真宗系の政治への接近は、つとに知られていると思う。2007年選挙で比例初当選した浄土真宗系で民主党参院議員の藤谷光信は、通常国会に袈裟で表れて新聞などに取り上げられていた。
けれども、議員連盟の存在などは知らなかった。でも、自分が知らなかっただけで、政治家との会合はずっと以前からもたれている。
「宗教と政治を考える会」(会長・熊谷弘幹事長代理)が24日夕、都内のホテルで新春交流会を開いた。会には、立正佼成会、霊友会、世界救世教、天理教、曹洞宗、新生仏教会、崇教真光、伊勢国一宮椿大神社などの宗教団体をはじめ、新宗教新聞や仏教タイムスなど宗教報道関係者らが参加。民主党からは鳩山代表、菅政調会長ら幹部と次期衆院選の公認候補者などが出席した。同会はスタート以降、10回の勉強会を積み重ねてきた。
http://www.dpj.or.jp/news/?num=978
鳩山代表は「私はかつて、政治家に一番大切なものは宗教心である、と書いたことがあり、宗教心を友愛、自立と連帯という言葉で表現している」と述べ、来る総選挙での民主党への支援を訴えた。
(2000/01/24)
ぽっぽは、この頃から友愛という言葉を、しかも宗教関係者の前で使っていたのだと分かる。日蓮正宗系の立正佼成会は、2000年当時はまだ自民支持だったはずだ。が、日蓮正宗から破門された公明が、森喜朗内閣のもとでその年の4月に自民との連立を形成。前の年には小渕内閣が公明との関係を強化していたこともあって、野党とも関係を作るために会へ参加したのだろう。その後、立正佼成会は民主中心の支援に鞍替えした。
こういった宗教観の対立から、伝統仏教の一部がある政党の支持に回るということは、あるようだ。
ただし、実家にきた坊さん(日蓮正宗ではない)が、民主候補を応援していた理由は、宗教観より地縁の部分が大きそうだった。応援する候補が、現職の世襲議員で、議員の親父が自民出身→離党して民主というパターンだから。
伝統仏教の選挙支援は、自民・民主のどちらかに偏るというものではなく、地域や宗派にとってメリットの高い候補を個別に選んで応援するという形もある。
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政治はともかく、件の坊さんについては、両親が拒まないなら別のもっといい坊さんを探したいところだ感じた。自分は上京してきて、かなり尊敬できる坊さんとめぐり合う機会をもったので、田舎で没することにならないなら、こっちで墓に入ったって別に構わない。生臭坊主に適当な念仏を唱えてもらうくらいなら。
*1:戦前は2度、8/10投票が行われている。1度目は1898年大隈内閣時代、2度目は1902年桂内閣時代。