民主連合政権下での社会保障と社会保障番号制度。

月刊「税理」 2009 年3 月号
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民主党政権の暁には税制の在り方を根本的に改革していく
民主党税制調査会会長 藤井裕久

(中略)

社会保障番号制度は民主党税制改革の根幹

――執行体制の見直しとして、歳入庁の設置と社会保障番号制度の導入を挙げている。

藤井 行政機関の効率化の視点から、社会保険料の徴収と税の徴収を行う政府機関は一本化すべきだ。一本化して歳入庁を創設する。だが、私が国税庁の職員だとしたら、「ルーズな社会保険庁のツケの尻ぬぐいは嫌だ」と思うだろう。この一本化は社会保険制度を再構築した後、制度的に正常な状況になった場合ということが絶対条件となる。

――民主党は、納税者番号制度ではなく社会保障番号制度の導入を訴えているが。

藤井 自民税の津島税調会長は、「今後、納税者番号制度を導入するか否かを含めて議論する」としてプロジェクトチームを設置するといわれる。この表現は、自民党らしいと思うが、結局は「導入しない」というロジックなのだ。我々は、社会保障番号制度を導入する、ということを前提として議論を行うこととしている。自民党とは、取組み方の姿勢が違う。歳入庁の設置と同様に、この社会保障番号制度も欠陥だらけの現行制度を下敷きにしては出来得ないので、社会保険制度自体の整備が前提となる。

――番号制度は、プライバシーとも関連して、国民の反対も想定される。

藤井 それは、よく存じ上げている。だが、民主党の政策を遂行するためには必要不可欠な制度ということだ。これまで、税制上の番号制度の必要性は脱税の把握が主眼だった。だが、地域社会コミュニティーが崩壊しつつある現在、社会保障を一番必要としている人が、どこに所在するのか分からないのでは困る。そうした人を把握するのが目的の一つ。加えて、我が党は納めた保険料に応じて受給額を決定する「所得比例年金」と、所得比例年金の受給額が少ない人だけを対象とした「最低保証年金」で構成する年金制度を目指している。この制度の実現のためには、所得の把握は絶対だ。また低所得者に対しては、給付付き税額控除の導入を予定している。給付付き税額控除とは、税額控除額が所得額を上回った場合には、その控除しきれなかった額を現金で給付するものだが、これを実行に移すためにも、正確な所得を捕捉しなければならない。この番号制度の導入については、党内でも反対意見が出されたが、政策の根幹をなす部分なので譲ることはできないと説明した。我が党としても大きな決断といえる。

http://www.fujii-hirohisa.jp/opinion_format/opinion_0903_GekkanZeiri.pdf


財政通で、官僚のコントロールを跳ね返すだけの力を期待されている藤井財務相。歳出のムダをなくしていくという方針には、心から賛同を送るのだけれど、これから1〜2年をかけて着手したその先については、不安がある。
いわゆる国民総背番号制度の導入が、誰にとっても公平な社会保障と納税のためには不可欠という理屈を繰り広げているからだ。「党内でも反対意見が出されたが、政策の根幹をなす部分なので譲ることはできないと説明した」というから、並々ならぬ決意と言える。
これまでの総背番号制度の理屈は、税金を取るためが一番にあったが、藤井の理屈は、社会保障を行き渡らせるためというもの。「取る」ためではなく「与える」ためという、耳障りの良い言葉に切り換えてきた。


藤井が、総背番号制度によって導入すると話す社会保障は、

  • 「納めた保険料に応じて受給額を決定する「所得比例年金」と、所得比例年金の受給額が少ない人だけを対象とした「最低保証年金」で構成する年金制度」
  • 低所得者に対しては、給付付き税額控除」「税額控除額が所得額を上回った場合には、その控除しきれなかった額を現金で給付」

の2つ。
前者で言う「最低保証年金」は、いわゆるベーシックインカムの考え方に近いものだろう。ベーシックインカムは福祉分野(条件付き無償提供)の考え方だから、社会保障分野(有償の見返り)の年金制度とは異なるものと言えるが、高齢者1人を若者3-4人で支えるような疲弊しきった年金制度は、根本から見直さざるを得ないことは分かりきっているので、そういった福祉と社会保障の折衷案も、現実味を帯びてくる。
後者は、低所得者層に限って、現在の制度で控除を足きりされた分を、給付という形で追加支援する形だろう。大きく反対する理由は見えない。


が、これらの導入に総背番号制度が不可欠となると、話は別だ。北欧の国では、日本よりも手厚い社会保障や就職支援、医療、学校の制度が用意されていることが、よく引き合いに出されたりするが、それらの制度が総背番号制度によって可能になっていることはあまり指摘されない。手厚い保障のためには、正確に管理されたカネ、モノ、ヒトが条件になるということだろう。
国に個人の管理を委ねることにも嫌悪感をもよおすが、そこで、個々人の社会に対する公益性や優位性が把握されてしまうことに対しても、ぞわぞわしたものが背中を走る。福祉や社会保障の恩恵を受ける対象となった個人は、おそらく社会に対する公益性や優位性が低いと見なされる空気が、日本という国では醸成されやすいと思うからだ(今だって、生活保護世帯などに対する一部の庶民感情はそのあたりが露骨だ)。
手厚い福祉と社会保障のバーターで、国に管理される余地を差し出すことが、本当に不可欠な条件なのか。明確な答えをまだ出せていないが、総背番号制度への参加を任意とする選択肢くらいは最低でも飲み込ませたい。