1週間かけて丁々発止やった末に渋り続けていた相手をようやく譲歩させ、最後まで残った理由が「生意気言うな」だった。


 ムカツク、なんて感情は沸かなくて。



 どちらかというと「やり方を間違えたな」、と。



 落としどころってものを考えてモノを言うべきだな、と。



 こちらが被ると主張するデメリットが、相手にとっては、それがどうして言うほどのデメリットになるのか分からない。正論で落とせないと気付いて、そこで、搦め手に切り替えたのは、間違い。相手は、譲歩のための理由がもっと多く欲しかったわけではなくて、口に出して言うのが悔しい「生意気だから」という理由を、別の言い方で伝える触媒が欲しかったわけで。それを言ったら、自分の器量が狭いような気持ちにもなるだろうし。



 譲歩を、相手方による自主的な方針の変更、という形でやらせるのではなくて、第3者にあたるクライアントの要求に応えた結果、という形に思えるようにもっていけば、互いにじりじり1週間も消耗戦を続ける必要はなかったろうな。



 そのほうがお互いにメリットが高い、あるいは、譲歩で誰もデメリットは受けない、といった相対的に見たコスト性からの主張も、その過程でこっちが少しでもメリットを享受できるように受け取らせてしまうと、感情のほうが勝る。



 譲歩を引き出す過程で、ちょっとお互いの本音が聞き合えたのは今後にとって良かったのかどうか。結果的に譲歩させたことでこちらの内心は勝利と満足を感じているものの、相手はそんな勝利と満足はありえないと思っているから、もし、自分には別にどうでもいいことで引いてやったくらいでそんなに安心したような顔をしてお安いやつだなと相手が思っていたら、と考えると、そこで不満が生まれている。



 おそらく、今度のような譲歩を要求しなければならないことはそうそうあるもんでなくて、後々、前例として再利用していくようなこともないだろう。譲歩による結果だけがあれば良くて、こういう手順を踏んで譲歩の結果を引き出さなければならない、という理由はなかったのだから、やはり、譲歩させられた、と思わせずに、こちらの内心の満足を引き出す形にもっていく、器用さを高めておく必要があるなぁ。

「ガゴゼ ①」(アントンシク)BIRZ COMICS


 一昨日もちょこっとだけとりあげた幻冬舎のネットマンガ“GENZO”で連載中の作品。本誌購読はまだ検討中なので、単行本で初めて読むのだけど、これはアタリ。



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3代将軍足利義満の時代。深い谷に潜む大妖怪「ガゴゼ」を退治するため差し向けられた義満の息子・義嗣(まだ10歳)一行とガゴゼの戦い。一行に加わっていた、土御門の名を受け継ぐ陰陽師に妖力を吸い取られたガゴゼは、手下にしていた妖怪たちの反撃から逃れる途中で、鬼無砂という少女にめぐり合う……。
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 妖怪の造形が、一見の価値あり。
 江戸時代の屏風絵や掛け軸で見られそうなクラシカルなモチーフを基本に、牙、イボイボ、毛、粘液といったパーツを丁寧に書き込みながら、リアリティさはあくまでマンガキャラクター的な感触を重視して、間口がキャッチー。霞のような妖力ではなく、肉と血と骨で生きてる、生物としての妖怪を描いているのも個人的に好感。強く迫ってくる皮と毛の質感。

 反対にオリジナリティに溢れるのが、陰陽師の使役する式神たち。ちっこい金魚のような人魚“青龍=チンロン”の愛らしい見かけは、高飛車で気分屋な態度によく似合う。

 そして、谷を牛耳ることを狙う妖怪たちから追われ、義満の手からひそかに追跡を受け、生きるか死ぬかで再起の策を練るガゴゼが出会った、少女・鬼無砂の無垢なこと!
 収録されてる第6話の冒頭、洗濯モノを干す鬼無砂タン、ちびっこガゴゼのために縫った着物を胸に抱えて前屈みでお願いする鬼無砂タン、折り紙で鶴を折ってにっこりアップの鬼無砂タンの連チャンは、ハードでどろどろした世界観をぶち壊しかねない破壊力。記憶をなくしていたり、人を食べることをやめた妖怪を父親だと思い込んで世話していたり、ナゾを抱えていて、ヒロイン設定もそつなく備える。あと太もも。これ、外せない。



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ガゴゼ 第1巻 (バーズコミックス)

ガゴゼ 第1巻 (バーズコミックス)



参考:1巻発売記念ページ(第1話立読可)