面倒をいとわないこと

 ライターの小川裕夫氏が主催・発行しているノンフィクションを題材にしたメールマガジン「このノンフィクションがすごい!」から、元共同通信記者でジャーナリストの魚住昭氏のインタビュー3回目が発行された。個人的に肝に命じておきたいことが魚住氏の話のなかに出てきいていたので引用しておく。

――『特捜検察』のなかで≪制約が多すぎて書けないことだらけだった≫と魚住さんは書いています。そのことは読んでいても実感できますが、『特捜検察』が書けたのはどうしてなのでしょうか?

魚住 リクルート事件が1989年、ボクが辞めたのは1996年です。もう7、8年経っているわけです。当時は知ってても書けなかったことが、7、8年経つと書けるようになってしまうんですね。書けないというのは、自分のネタ元との関係ですからね。ネタ元が「ここだけの話だけど……」と教えてくれたことも、何年か経つと出せるようになる。とは言っても、全部書けたわけではなくて、ネタ元に迷惑をかけない範囲で書いたということなんです。

――ネタ元に迷惑をかけない範囲ということは、ライターにとってかなり重要な点だと思います。魚住さんはネタ元に迷惑をかけないように、どういった工夫をされたんでしょうか?

魚住 検察担当をしていた頃に一番気をつけなければならなかったことは、自分が誰からネタをもらっているのか、誰からこの話を聞いたのか分からないようにする。その作業は大変なんです。取材作業の7、8割はネタ元を分からないようにすることに費やされるんですよ。その方法はどうやるかと言うと、ある検事から話を聞きます。それをそのまま記事にしたら、その検事が教えたとすぐに分かってしまう。それを消すために、一人の検事から話を聞いてすでに分かっているんだけど、わざとその件についてほかの検事や幹部に当たるんですよ。検事や事件の関係者に何ヶ所も当たって、自分の足跡を残すわけですよ。その上で書くんです。聞いたことのここまでだったら大丈夫だろうという何割かの部分を書くんです。検察はこのネタはどこから出たんだということを後から絶対に調べます。もし一人しか当たっていなかったら、その人がネタ元だということをすぐに分かってしまう。でもボクの足跡がいろんなところに残っていたから、検察もどこからネタが出たのか分からなくなる。そういうような作業を当時はやっていますから、7、8年経ってしまうと割りと踏み込んだ話を書いても、恐らくこの話はこの人から聞いたんだろうなと分かったとしても、もうその当事者たちは持ち場から離れて偉くなっていますから、検察であまり問題にならない。そういった意味で制約がなくなったということなんですよね。

 大当たりのネタやコメントに行き着くまでが大変なことのほうがほとんどではあるけれども、ときたますんなり答えとおぼしきものにたどりつけてしまっても、表に出す場合は、またそれはそれでそれなりの手続きが必要だったりはする。


参考:小川裕夫氏HP writerism たった一人のライター修行