トークセッション「ライトノベル☆めった斬り!」 ②
続き。
アシスタント制度の話からの派生で、小説作りの分業化についても。
小説にもマンガのように原作、原案があっていいと、大森、冲方氏の間で盛り上がる。参考として「デスノート」の制作体制の緻密さが話の端々に。冲方氏はキャラクターでも他人の案があっていい、とより細分化したアイデアを出していた。
「(設定作業などに)余計な労力を使わなくていいから、感性を最大限に使える」「実験(的な作品を挑戦する)の場所になる」「作家同士の交流が増えるので、社会性があがる(笑)」(冲方)と力説する沖方氏に対して、「それが正しいとすれば、アニメ業界の人は人間としてもっと成熟してなきゃいけないけど?(笑)」(大森)という茶化し半分の突っ込みへは、「(アニメ制作の)上にいる人は、すごく大人」「表に出てこないだけで大人はいる」(冲方)という、おそらくファフナー制作の経験からだろう自信の感じられるコメントが。
監督能力の高い、できる人は地位が高くなっていくシステムがアニメ業界にはあって、そういった人が上にいるから、アニメがつくれている、と話していた。
このあたりで、冲方氏が「論外」「ちょっとキレそうになった」と口走った、エンターテイメント系作家のある指摘に対する純文作家方面のある反応について大森氏から話があったのだが、そっち方面の現状については知識が浅いので、理解できた範囲で少し抽象的に書くと、別の作家、他業種の人との交流、せめぎ合いが大切という、冲方氏にとって当たり前の考えかたに対して、純文サイドがいまさらのように感心していたよう、ということが冲方氏には信じられなかった、といった感じか。
「僕がやろうとしていることは、マンガがやってきたことで、マンガのそれをどう乗り越えるか」(冲方)。マンガの量産性、市場の大きさ、読者層の広さ、といった点でその制作体制を参考にしながらも、ライバル心を燃やす冲方氏。まだ病み上がってないのに、熱いぜ。
マンガ業界が可能にした量産をラノベでもできないか、という話で、三村氏から、ラノベの週刊誌を立ち上げられないか、とのアイデアも。ファフナーで分業の強さを知ったという冲方氏が、それに食いつく。「一ヶ月でファフナー13話分を書いた」(冲方)というスケジュールの詰まり具合を聞いて、「(冲方氏の言う)システムがうまくいくというのは、説得力はないよね(笑)」(大森)「ある程度は分業できた」(冲方)なんて会話も。
「ミナミノミナミノ」の例の後書きについて。
「編集者は何をやってたのかと」(冲方)。再びラノベレーベルのマーケティング不足の話へ。「『ミナミノミナミノ』を書くのに編集者のススメはあったろうけれど、『イリヤ』のアニメ化を進めたのは、編集者じゃないから」(冲方)。
電撃の人気作家がモチベーションをあげられているのは、編集の周りにいるプロデューサーが広告代理店をフルに動かしてメディア展開を図っているから、秋山氏がイリヤからミナミノまで出版間隔が空いたのは編集の力不足、という冲方氏の見方に、「そういうわけでもなくて、いろいろボツにもしてたと思うけど」(大森)と、なんだかなだめるような調子。このあたりになると、もう今日は完全に聞き役、調整役に徹するつもりだな、という感じの大森氏。
ほかにマンガ業界で参考にできる点について、冲方氏が、マンガにあって小説にない制度として、明確な“打ち切り”を持ち出す。もう書くつもりのない作品はちゃんと打ち切ったことを告知しないと、その作家が新しい作品にチャレンジする可能性も狭めてしまう、と。
その話の流れで、人気作のストーリーが長大化すると、その作品についた10万人のファンに引いて、レーベルについていた100万人のファンが離れていく弊害があるのでは、との見方を話す。「『こち亀』のように1話完結式ならともかくね」(冲方)。
「ラノベで、ストーリーが長大化した作品はそんなに多い?」「グインサーガを想定してるわけ?」(大森)。客席からは「キマイラー」との突っ込み。
その後も、冲方氏は、ぱっと見は売れていて、だけど中長期的に業界にダメージを与えている、という見方もできる、将来的なファンを逃すことになる、と話していたけれど、これは具体的な作品名をあげて個別に話さないと、明らかにしにくいテーマだろうな。冲方氏のなかでは、言えないけれど具体的なシミュレーションが何か形をもってあったんだろうけれど。
「編集がそういうマーケティングをやってくれないから。やってくれているなら、真面目に小説を書いてる」「忙しいのは分かるけれど、個人主義から脱せてない」(冲方)、「そーいう(集団作業)のに向いてない人が作家や編集になるんじゃ」(大森)、「今はメールもあるし」(冲方)。このあたり、冲方氏のなかには、確固としたものがある印象を受けた。
「以前、大森氏にどこでやりたいと聞かれて、ミステリとかじゃなくてライトノベルと答えたのは、それ(おそらくマーケティングに基づいた制作という意味だろう)ができるから。いろんな人が入ってくるジャンル。新しいことができる」(冲方)。
けれどその一方で、それがやりにくい一番の欠点として、ラノベの一般性のなさがある、とも話していた。で、一例として、“萌え”偏重してるという電撃の名前がまた(笑)。ファフナーのノベライズは表紙案として、初めは女子キャラを提案されたらしい。「女の子が読む本なのに」(冲方)には同意。
熱い冲方氏に、「美少女中心でないラノベもあるし」(大森)、「ファンタジー一辺倒だった10年前に比べれば、多様化してる」「そんなに“萌え”が枷になってるかな」(三村)といった冷静な意見でバランスがとられる。
この後しばらくは、“萌え”論について。
富士見の忘年会で水野良と谷川流が“萌え”について熱く語り合っていたとか、水野はディードリットの“萌え”を自分では絶対理解してないよねとか、マルドゥックスクランブルが「めった斬り!」でなんとかラノベ度Dをつけれたのはネズミのウフコックでポイントを稼いだからとか、「萌える英単語」をドラゴンマガジンやアニメージュが先にやらなかったのはもったいなかったとか。
最後は、ラノベの方法論がジャンルにとらわれずに、小説全体に広がっていってほしいですね、そしてそれはもう始まっているよね、という感じのまとめに。
……なるかと思いきや、客席側にいた元富士見編集の人から、冲方氏のアシスタント制度について、マンガとは1冊あたりの刷り部数が違うから、多人数で制作するとペイしにくいという意見。儲からないから、あるいは儲かるまで時間がかかるからアシスタント制度がほとんど見られないのでは?という質問に、「それは、辛抱ですね」と、即答する冲方氏。現在準備中という、富士見とスニーカーで同じ世界観やストーリー軸に沿ったシリーズを同時刊行していく計画で、そのあたりの辛抱の成果が生かされてくるなら、初めてマルドゥック以外で冲方氏の本に手を出してみようかしら。
ああ、そうそう、次に出す本は、マルドゥックの続編を優先していく予定とのこと(ハヤカワ編集の人もその圧力をかけるために来ていたらしい)。
16:30頃、終了。