疲れたので、昔は良かったなあ話をする。


 ヤンマガで再開した「RED」(村枝賢一)を立ち読みする暇もないほど忙しい日というのは、いかがなものか。そんなぐったりした体を横たわらせて、1週間ほど前、保存用に買っておいたザプレ休刊号をぱらぱらとめくる。

 http://www.sbpnet.jp/media/magazine/magazine.asp?mid=pls

 プレステvsサターンの次世代機競争が本格化していった94年末、ゲーム業界が意識して名物広報をつくろうと仕掛けた最初のケースだったと思われる*1「ステハニー☆林」女史が懐かしい。案外年をとった風には見えなくて、なぜかうれしくなる。顔はアンコウとサメを足して2で割ったような感じなんだけど、仕事はできそうなんだな。まだ独身でいらっしゃいましたか。でも、林女史をして負け犬とは言いたくない。「ジャンピング フラッシュ!」は、あなたの広報がなければ買ってなかったでしょう。
 プレイステーションマガジン、じゅげむ、ハイパープレイステーション電撃プレイステーション。ゲーム雑誌全体が盛り上がってた最後の時代の思い出。


(とりとめなさ過ぎるよ……)

*1:高橋名人はたまたま盛り上がっただけな印象があるんだよな。「バグってハニー」は見てたけどさ。