もうSF。

導入は「犬雨」(たかしたたかし)で、途中から「我が名は狼」(たがみよしひさ)なシリアスが入って*1、中盤からは「ミノタウロスの皿」(藤子・F・不二雄)な違和感が漂い始めた「わんことくらそう」(ivory)。


人の形をして言葉も話す獣タチは、自分らの幸せが、あくまで「飼い犬」として「飼い猫」として生きていくことにあるというところに徹底している世界観が、不思議であり違和感であり首を左右に振ってハテナマークを打ち消しながらでないと読み進めない、そんな。
人間は人間で、自分達の進路や人生を「飼い犬」「飼い猫」タチとは、別の次元でフツーに語り合う。その横で、なごやかに微笑むわんこたち。

主人公の「飼い犬」であるみかんにペットショップで好きな首輪(=人型なのでこの場合は腕輪)を選ばせ、「これがいいです」と嬉しそうなみかん、「あら、いいセンス」と微笑む店長。
仲良くなった店長の家に夕飯をご馳走になりにいく道すがら、リードを引いてもらうのが好き、と微笑むみかん。



ほのぼのした日常のみで描かれた、ほりほねさいぞう的メタファーというか。



ケモノたちと人間の立場が逆転した話では「夕暮れにさんぽ」(鬼魔あづさ)があったり、モンキープラネットまでさかのぼれるという意見もあるだろうなあ。しかし、ファンタジーや未開の時代にステージをうつさず、現代の日本に落とし込んでる作品は珍しい。



うまくまとまらないが、しばらく近所の飼い猫を見る目が変わりそうなそんな予感をもたらすくらいのゲームではある。

*1:主人公とペットショップ店長の撫子との関係は、「狼」における現実主義者で女たらしの犬神内記と彼が居候する「ペンションたかなし」の3姉妹長女で子持ちの誠との関係へ類似する。