「RIN ①」(新井英樹)ヤンマガKC


 以前、「RIN」が作品タイトルを変える前、「SUGAR」だった頃に上京物語としての「SUGAR」というエントリを書いたことがある。臭い言葉で言えば、その上京物語としての「SUGAR」は都会に一人出てきた「若者の孤独」を描いていた面が含まれたと思う。主人公で天賦の才をもつボクサー凛の傍若無人ぶりは「SUGAR」と「RIN」で、まぁ、変わりはないのだけれど、「SUGAR」時代の凛にはそういう意味で等身大なところが残されていた。


 さて、「RIN」にタイトルが変わってからは、というと、凛が世界チャンピオンに到達するまさにその瞬間から幕を開けた「RIN」は、「天才の孤独」に踏み込む。
 繰り返しになるが傍若無人ぶりは「SUGAR」でも「RIN」でもそう変わりない。しかし「SUGAR」時代の凛は天才ぶりを噂されても、最終巻の8巻で肩書きはまだぺーぺーの4回戦ボクサー。だが「RIN」ではWBCスーパーフェザー級のチャンピオンから物語をスタートさせる。
 本人は前のまんまのつもりだとしても、受け取る側ではまったく違ってくる。4回戦ボクサーでは戯言でも、世界チャンピオンの発言には周りが勝手に重みをつけたがる。


 世界戦終了後に出演したテレビ番組の生放送で、凛はライト級世界チャンピオンの立石のアゴを打ち抜いてしまう。スタジオは騒然。翌朝のスポーツ紙は“2階級制覇 やっちゃった〜”と報じる。一方、決定的瞬間をテレビで観ていた(凛が勤める)料亭「天海」の板長は、特に驚くでもなくお猪口を傾けながら「とことん…… 成長せん男だな あれは」と、ただつぶやく。そう、凛の中身はまったく成長しておらず「SUGAR」のラストから変わっていない。
 だからプロ2戦目でラストを迎えた「SUGAR」から、「RIN」がいきなり世界戦で始まったとしても不思議はない。その間、天賦の才で連戦連勝を重ねただろう凛に、その内面においてドラマになりえるような出来事は起こっていなかったのだろうから。プロ1戦目で開始4秒でノックアウトされ2戦目でその恐怖から復活した凛に、いまさらおごりや慢心といった克服のドラマを描く必要はない。実力で拮抗するような強敵、ライバルも陳腐だろう。凛が「SUGAR」と「RIN」を通した物語で唯一燃えたと思われるのは、上京して中尾ジムに入門する前、夜明けの路上で心の師・火の玉銀次と殴り合ったときだ。もうロートルだったかつての喧嘩師匠との殴り合いは、決着は凛の勝利に終わったが、実力だけがモノを言うリングに舞台を移してから、このときほど凛が心から熱くなる瞬間は描かれていない。




 ……んーー、はじめに書きたかった意図から順調にずれてきた(笑)。そうそう、「RIN」は「天才の孤独」を描いてるってことだ。テレビ番組で同席した、元世界ランキング8位のプロテニスプレイヤー出身キャスターと極道出身のライト級チャンピオンと年増の女性アナウンサーめがけて投げつけた凛の台詞を引用してみようか。

キャスター
「「人間 石川凛」にとって「ボクサー石川」は何者ですか?」





「ね」
「自分を探すだの磨くだの大忙しだとさ」
「こういうこと言っちゃうんだ」
「「8位の自分」が好きとかよ」
「ぐだぐだごたく並べんなっての」
「本当に一番好きなことやってたら」
「自分 眺めてるヒマなんかねえだろ」
「「極道だったボク」も 「セレブ気分の私」も」
「オレから見りゃ中身スカスカのペラペラだよ」
「普通なら」
「なにかに・・・・ 映った自分観て「あ・・オレ」だろ」

 「SUGAR」時代はジムや街の片隅で吐いてるだけだった台詞が、「RIN」では全国放送に乗る。それでも関係ねえぜ、と吹聴していたところ、世界戦翌朝に告白した幼馴染から、凛はボクシングを始めて変わったとフラれる。実力で上り詰めた凛を実力だけでは計ってくれない世間への苛立ちを、極道から更正してチャンピオンになった立石の真人間ぶりと対比させていく。
 実力VS実力ではなく、実力は凛のほうが数段上というのはゆるがない前提としてあって、その差を埋めるものとして世間が求める「人生の重さ」「根性」「ハングリー」を、凛がどんなふうに切ってすて反撃を受けるのか。天才は孤独なままなのか。
 そこが、1巻ラストでサンドバッグ越しに凛をいよいよ殴りつけた立石との間でどう転がっていくのか。今月末に出る別冊ヤンマガでの連載再開を楽しみにしたい。


RIN(1) (ヤンマガKCスペシャル)

RIN(1) (ヤンマガKCスペシャル)



 下は、前のエントリで小さいのを載せてた「天海」=「玄海」の写真。新宿2丁目は目の前である。