ロッキー・ザ・ファイナル(監督:シルベスター・スタローン)
新宿ジョイシネマ2で21:00の回。
エンドロールが終わって、さっとトイレに駆け込んだ。ずっと流しっぱなしだった、涙の跡がみっともなくないかを確認するために。エイドリアンの何回目かの命日、かつてエイドリアンとデートをしたスケート場があった更地で、手と手が触れ合った日のことをまざまざと思い出す、老いたロッキーのシーンから、「ロッキーのテーマ」をバックに再起のためのトレーニングに励むシーンまで、もうずっと。
二つの意味で嵌った、としておく。
スタローンがロッキー・バルモアというボクサーのために用意した「花道」として、そしてロッキーシリーズのファンとハリウッドがスタローンという役者のために用意した「花道」としての「ロッキー・ザ・ファイナル」。現役ヘビー級チャンピオンとベガスで10ラウンドを戦う試合に、相手のチャンピオンは「これはエキシビジョンマッチだ」とロッキーを挑発するがロッキーはそれに本気で立ち向かう。一方で、映画そのものが、あたかもスタローンという老いた役者のためのエキシビジョンマッチであるかのような錯覚を起こした。けれど、最高に完成された誰もが幸福になれるエキシビジョンマッチ。
老いたロッキーは躊躇をみせる。酒を奢れと絡んでくる若者たちに、仲良くなったバーの女性の息子に、プロ免許を「良心的見地」から発行できないと宣告するボクシング協会の人間に、醜態をさらすなと詰め寄る自分の息子に。が、躊躇は数瞬、下げた足を引き戻して、立ち向かう。そこに挫折はない。挫折は書けない。なぜなら、「ロッキー・ザ・ファイナル」という映画は「花道」だから。拍手をもって迎え入れる送り出すための、だから。エイドリアンは癌で死に、エイドリアンの兄は精肉所をクビになり、息子は父親の影の重圧から会社を辞め、現役チャンピオンは翳る人気を回復させるためロートルとの試合を組まされる。ロッキーにからんでくる誰もが苦しみを背負う中、ささやかながらイタリアンレストランを成功させた“イタリアの種馬”は、老いてなお押さえ切れなかった己のボクサーとしての矜持のみにかけて、プロのリングに再度、立つ。10ラウンドを戦うリングで、満衆の観客は、復活したヒーローのロッキーに惜しみない声援を投げかけ、無敗記録を打ち立てながら実力を疑問視されている現役チャンピオンにはブーイングの嵐を巻き起こす。みんなのロッキーは確かに老いてしまったけれど、肉体派俳優のスタローンは確かに老いてしまったけれど、それでも今でもこんなに元気で愛されるチャンプとして戻ってきたよ!
参考:公式サイト