今日から5年目。


この日記のタイトルが「実物日記」であったり、メールアドレスがzitsubutsuであったり、はてなIDがbulletであったりすることに、特に意味はない。
特に意味はないというか、特に意味を持たせていないところに多少の意味はあるかもしれないというくらい。
実物もbulletも、そこらに転がっている普通名詞である。
検索をかけても、特定の結果や傾向を導く可能性は相当低い。
なぜ、実物を選んだのか。
はっきり言ってよく覚えていない。
4年前の当時、何か思うところがあったのかもしれないが、忘れてしまっているくらいなのでさほどたいしたことはないのだろう。
なぜ、bulletを選んだのか。
何かのガンアクションモノのフィクションにでもはまっていたのか。
もしかしたら、FF7でも再プレイして片腕がガンのキャラクターのことを気にかけていたのかもしれない。
はてダが始まるよりも何年か前、はてなアンテナを使いたくて取得したIDだ。
まだまだ人も少なかった。
けれども、bulletというIDが取得できて、それで喜んだということはなかったと思う。
自分は固有のハンドルネームを持たない。
持ったことはない。
ネットゲームを頻繁にやっていた頃は、ある程度の固有ネームを持つこともあったが、別のゲームでは別のネームを使っていた。
もし、こちらに何か語りかけたり呼びかけたり批判したり揶揄したり応援したりなぐさめたりしたい人がいてくれるなら、固有のハンドルネームがあったほうがそういったことをやりやすいのかもしれない。
その際は、何とでも呼んでくれればいい。
たまによその掲示板やブログで自分のことを「実物の人」などと書いたりする。
「〜の人」とはずいぶんもって回った言い方だ。
まるで他人のことのようだ。
通常、「〜の人」と言えば、「〜の好きな人」とか「〜の嫌いな人」とか「〜のことを過去にひどい言葉でフった人」とか「〜の恩師(の人)」とか、自分が何らかの意識を向けた他人、自分と何らかの関わりを持つ他人のことを指して使う言葉だ。
こうやって「実物日記」を書いてるid:bulletは他人なのか。
いや、そうではない。
そうではないが、id:bulletは自分であると正面から言えるとも思わない。
自分のことを自分という。
なぜ、オレや俺や僕や私やおいらやあちきではないのか。
オレや俺や僕や私やおいらやあちきという一人称がまとう色を嫌うからだ。
ある一定のベクトルの偏りを感じさせるパーソナリティをなるだけまとわないように配慮をしている。
数ある一人称の中で、自分という言葉に自分はもっとも色を感じないからだ。
自分はそのつもりでも、その他の文体や字面の口調で否応なくまとわざるをえなくはなっているだろう。
それでも、そういう姿勢を続けたい自分がいる。
そのような意識を持った自分は確かにいるのに、「実物日記」やid:bulletや自分という一人称でそこをかわそうとするようなことをしている。





一方で、4年という時間、990日という時間には、多少ならずとも意味を感じている。だから今日から5年目。