36日目。放射線量のことを一旦置いて、ちょっとブレイク。

はてなブックマーク > Togetter - 「竹熊健太郎氏( @kentaro666 )の語る、3.11以後のオタク的な表現」 togetter.com
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/123544



結論は考えず、だらだら。



うーん、竹熊せんせー(せんせーでいいのか? 今は京都でせんせーしてるんだよね?)の言に具体根拠をしっかとは受け取れないといえばそうねー。でも、直感的には、というか、一部のオタコンテンツに関しては、そんな感じの現象も見い出されてくるのかなと。変化って、基本、受け手によって見い出されるものだから、なんとでも言えるっちゃ言えるんだけど。
あと、オタクって元来、保守的なもんなんだとすれば、「変わらざるをえないんだよ!」って言われちゃうと、「変わりたくないからオタやってんだよ!」って条件反射的に抵抗しちゃうところもあるかしら。
世間で言われる真っ当な大人になることを捨てて、オタと後ろ指をさされることを甘受して手に入れた唯一無二の宝物が、別のものに変化することを許すわけがない的な。



オタコンテンツの質が変化するかもしれない、というよりは、オタコンテンツの総量が減っていくような気がするのねー。商業方面で。WEBで無料放題のじゃなく、金を出さないと楽しめない方面で。経済が冷え込んでけば、オタ予備軍になりかけの人を「それどころじゃないんで」って、引き戻していく力が働きそう。
あと、オタの層によっても、質の変化が大きいところと小さいところがあるだろうね。
年齢による差はどうなんだろう。30歳とかを過ぎて、いわゆる濃いオタを「卒業」しかかっていたところに、3.11がきて、「卒業」を早めるケースはありそう。結婚とか子どもとか両親の介護とか。



例えば、9.11で、アメリカンコミックの世界がどう変わったか。
田切博の「戦争はいかに「マンガ」を変えるか」を読んだときのメモ(http://d.hatena.ne.jp/bullet/20070317#p1)を今、読み返してみると……「今のところ最大のショックは、「9.11」に対して作家と出版社が立ち上がったチャリティーコミック(「9.11」ショックに対する作家の自己治療の側面をもつ)が、模範的な愛国心の発露として世間に評価され、その後のアメコミ業界が好景気に沸く状況を後押しした、という指摘。それ以前から進められていた流通改革が好景気の最大要因だったとしてもブースターの役割は明らかに果たしたと。」なんてことを書いていた。
そういやぁ、「9.11」の瓦礫の山の上で呆然としていたスパイダーマンは、数年後には映画のスクリーンで颯爽と活躍していたわけで。で、そのさらに数年後には、「ダークナイト」があって。
日本でもこれから愛国マンガとかが流行るのかしら? 放射能除去装置=コスモクリーナーを取りにいく「宇宙戦艦ヤマト」のリバイバルとか? そんなもんが流行るくらいなら、オタの大部分は3.11以前と同じようにニヒリスト兼リアリストを気取って世間に何の影響も与えないでいてくれたほうがマシかもなぁ。
あと、この本が出版された2006年の時点、9.11から5年後の時点では、「今、アメコミ作家が立ち返りつつあるという「マンガをマンガとして」描くこと。政治に左右されない。創作意欲を理由にしない。 」という、原典回帰的な動きもあるというふうに触れていた。これがさらに5年がたった今、どんな感じになってるのか、小田切さんが触れた論はあったりしないのかしら。



まぁ、あれだ、原発推進派の知事候補が4/10に軒並み当選したことを考えれば、変化するかどうかという可能性とは別に、社会の大勢は変化を望んでいないらしい、ということはよく分かった。自分は少なくとも原発を含むエネルギー政策の方向性に関しては抜本的な変化というものを望んでいるんだけれども、それは少数派なのかねぇ。
ユーザーとしての快適なオタライフ――送料無料で早ければ翌日には届くネットショップ、オタコンテンツをZIPで大量に撒き散らしてくれるサーバー、オタ趣味に費やす時間を可能な限り確保するため衣食住を必要最小限の労力で用意することを可能にする24時間コンビニ・スーパー――は、みんな大電力のたまもの。大電力に支えられた生活は否定できないよなぁ、本音の部分じゃ。自分は長生きしたいので、少なくともガンでは死にたくないので、もっと別の道を探したいのだけど。



というか、皆が「変化なんてしねぇよ!」って合唱してくれているんだから、竹熊せんせーは、「そうか変化しないのか、だったら今までの方法論が通じるから、俺はまだ今の仕事で食べていけるぞ!」ってホッとしておくんでもいいんじゃないかな。
で、後々、「あれ? やっぱり方法論、通じなくなってきてるぞ!」ってことになったら、合唱してた人全員から100はてなポイントずつ徴収するとかすればいいんじゃないかな。



つか、クリエーターの側から反論とか賛同とかは出てこないのかね? ちゃりてぃーばっかか、という印象は正直あったりする。それはそれでやればいいんだけど。
今月のビームに載ったしりあがり寿原発事故50年後の世界は、どうなのかね? 質的変化の一端にあたるのかしらね? 過去作品でのしりあがりの批評性とか政治性を自分は知らないので、なんともいえないのだけど。



「変質をせざるをえない」という言い方が気に食わないというんなら、じゃあ「これまでにない新しい表現が出てくる」って言い換えれば、ちょっとやんわりしてこない?



阪神淡路大震災サリン事件が起きた年に放映がはじまったエヴァは、2年後の映画版でオタ批判やったけれど結局、オタがそれでいくらかでも変わったか?というと、ね。



オタコンテンツの質が変わろうが変わるまいが、それがクリエイターの側からの自発的なものであるんなら、どちらに転ぶんでもいーんじゃないの? というくらいの興味しか今のところ沸かないのかもしれない(つまり、行政規制の力によるものなら勘弁な!ということ)。そんで、ユーザー側が「変わらなねぇよ!」「いや、変わるよ!」と言い合う結論にはさらに興味が沸かない自分にも気が付いた(ほんとーに結論ないのな!)。