「『キマイラ』と「やおい」」(夏目房之介)

コミックパーク/夏目房之介エッセイ『マンガの発見』より

 モーニングでやってる「キマイラ」のやおい変換による楽しみを力説する、東大博士課程の女性の話。

女としては、ついにないはずの感情を出してしまい、その「革命」そのものを冷笑するにいたった元ホームレスを、洗脳側の男が再洗脳せんと部屋に入れる場面に「萌え〜!」なのであるらしい。
「だって、カーテンをシャッと閉めて(このへん、もう演技入り)、ろうそくに火つけるんですよぉ! ろうそくですよ、ろうそく! これ、ヤッってるじゃないですか、絶対! たらしますよ、ふつー!」

 「やおい」はまだ守備範囲外らしい夏目氏が、完全に聞き役に徹して面白がっているのが、少し意外でもある(笑)。夏目氏ほどのマンガ論客に、臆しもせずにろうそくプレイの脳内変換をぶつけられるこの東大博士課程の女性は、揶揄抜きで本当に尊敬に値する。というか、東大博士課程でやおいを研究するくらいなんだから、日常から激しい理想の受け攻めカップリングをディベートしまくってそうだな。
 で、夏目氏の今回の結論。

ナンだかんだいっても、人が作品を理解するとき、そこにはまず単線的な「お話」、意味の共有が前提されている。
 けれど、事実として作品の受容が多層化しているとなると、そのこと自体に対しては違う理解の枠組みが必要になる。
 そうした現象が総体として一種の隘路、閉塞であるかどうかは判断のわかれるところだろうが、とりあえずそうした多義的な「読み」を、僕らは大枠で共有できるんだろうか、という問題が、まずは今ここにあるのかもしれないのだ。

 僕ら、ってどの層の僕らなんだろう? 男と女のマンガ読みということで言っているのなら、「おおきく振りかぶって」POP騒動の時の、伊藤剛氏の撤退戦に、深い溝を見たような気がするが。
 でも、このくらいの結論の仕方なら、夏目氏がやおい論に手を付けることは、ほぼなさそうだなぁ。