「わいせつ」の定義はゾーニング違反で


 2/17に開かれた「蜜室」裁判控訴審ちばてつや氏証言模様のレポート。

 http://www87.sakura.ne.jp/%7Ecou/matu.htm#matu17

 どうやら、当日の証言は、文章化されて公表される予定のようだ。ちば氏の主張は、それを読んでから自分のなかできちんと評価をしてみるとして、気になっていた、検察側の質問タイムと、被告サイドが現時点で目指している着地点の2点について、興味深いところがあったので引用させてもらう。

検察側の質問。
「先生にはワイセツという概念がありますか?」
あると思います。
「「蜜室」はワイセツでしょうか?」
「異議有り、それは法律学上のワイセツでしょうかそれとも一般的な?」
「そんな事、先生に言っても分からんでしょ。はい、一般的な方ですね」
証拠の再検討の二審で今まであまり喋る仕事もなかった検事なんですが、なんかいや〜な口調。
私は個人的にいやらしい本だと思います。社会性のない子供にも見せたくない。善悪があまり分からないまま興味本位で見るべきものではないと思う。でも大人は多様な趣味の一つ。だから良い悪いで有りか無しかではなく、区分けゾーニングを心大らかに考えて欲しい。

 やはり、一般的な意味でならわいせつである、という主張があったようだ。「蜜室」はわいせつ性をもつ、あるいはわいせつなマンガがある、子供に見せたくないマンガがある、というところまで1審に比べると一歩引いてる。あと、「大らかに考えて欲しい」と、裁判官に大らかにお願いするような主張も、1審ではほとんどなかったものじゃないか。

記者の質問で、裁判の成り行き。
ワイセツをどう定義したいのか?」
一審判決はチャタレイ裁判まで退行している。私たちは新たなゾーニング論。
絶対的なワイセツ物という定義はなく、ワイセツ物とは相対的な物である、という考え。
非性的空間に性的を持ち込むことをワイセツと定義したく思っている。

 相対的なわいせつ性はあって、それは、非性的な空間に性的なものを持ち込むという定義の主張。
 これって、新しい考え方なのかしら。
 じゃあ、秋葉原の通りにはみ出してるエロゲ看板や、店の入り口に張り出されているポスターは、わいせつ物だな(笑)。そして、自分もあの看板、ポスターが通りからすぐに目に入ってしまうような状況については、わいせつ性をかきたてる状態と思っている。

 わいせつ物を、判断力のともなう年齢の男女だけが入手・購入できる状態の構築に努力することを、出版社、書店に最大限求めることは許容するとして、もし何らかの手段でもって、判断力のともなわない年齢の男女がそれを入手・購入したとしても、その購入物単体でもってわいせつ性を判断する材料にはしない(できない)とする……、ことでとりあえずしのぐのか。

 ただ、ネットの無法遅滞を絡ませられてくると、これも、穴が出てくる主張じゃないかなあ、とは思うけれど。