イベントの感想を書かれるほうの危惧

 ユリイカのブログ特集のインタビューで、イベントの模様をメモってブログにアップすることの是非とか書き方について、はてな内でいくつか反応があった。一通り読んでの雑感。


 アップすること自体は、自由に立ち見ができるオープンスペースでのトークや入場料を払えば誰でも参加できるようなイベントで話されたことなら、それをアップするなという「お願い」以上のことは、求められても受ける義務はないだろう。ファンとの交流が中心になるトークイベントやお祭りなら、信頼関係が築かれているはずなので、多くの場合は「お願い」を聞き入れてもらえると思う。
 問題は事実誤認とか微妙なニュアンスを含んだ発言とか、前後の経緯を取っ払った1フレーズが一見センシティブ過ぎたりする場合とかだが、発言者やその関係者に事後対処してもらうか、読み手のリテラシーに頼る以外、手段を思いつかない。
 やはり、公開の場所や、料金させ支払えば基本的に自由な出入りが可能な場所で話されたことに、伝聞の歯止めをかける「理屈」は、思いつかない。

 ユリイカインタビューで女性のはてなユーザーがあげてた、おととしの夏にIKKI編集長が黒田硫黄のことなどを話した例の慶應大学SFC「imapcomics」インタビュー記事騒動は、あくまで研究室の学生らを聞き手にしたインタビューだったから、それ以外の人間が参加できないというしばりがあった。つまり、完全に内輪のことだから、当然掲載前に何らかの許可か内容の確認はすべきだったことであって、前提が違う(手違いで公開されたという説明もあったようだけれど、真偽のほどは不明)。
 
 アップした人間に、コメントやメールといった、訂正・削除を求める手段がわかりやすく提示されていれば、それでいいんじゃないか。


 イベントなどの話し手が気にしてるのは、アップされることそれ自体やその中身やネットで事実誤認の悪い情報があっという間に拡散していくこともそうだろうけれど、仮に意図した内容と大きくずれたことが書かれてあった場合、そのホームページなりブログなりに文句をつける手段がきちんと示されていないとか、文句をつけてもきちんとした対応とか訂正が望めなさそうな、書き逃げしちゃう人間もいそうだから、不安に感じてるんだろう。悪く言えば、一方的に、どこの馬の骨とも知らない人間に、馬の骨の視点で解釈された自分を全世界に発表されてしまうわけだから。

 一般の雑誌や新聞やテレビなんかでも政治家の発言とか、匿名インタビューの発言とか、関係者の話が記事中に使われるけれど、記事を書いた人間が匿名でも、それを報道したところには文句を受け付けてもらえる。ある程度は、もしくは表面的には誠実に。その後は裁判へいくなりカネで解決するなりどうぞ、だ。 

 ようは信用(あるいは権威)の問題と、「何かあったときお前責任とれるのか?」という危惧が絡んでくるのだろう。そういったネットの可能性は、コントロールが(誰にも)きかないところにこそあるのだが、ある意味「ネタにされるほう」にとってはデメリットばかりが目に付くケースもあるということだろう。