本当にあったらしいこわい話

 日経新聞夕刊5面に「人間発見」というコーナーがあって、日経の編集委員が月〜金までの5回連続で、会社社長や芸能人、何らかのスペシャリストの人たちに、半生を語ってもらう企画がある。今週は、日本青年館結婚相談所板本洋子所長という人が「恋心のサポーター」というタイトルで登場していた。で、木曜日の4回目と金曜の最終回で紹介されていた話。

 一九八〇年代は働く女性が増えていった時代。経済的に自立した女性は結婚でも男女の対等性を求めます。伴侶を探すのはあくまで自分がよりよい生き方をするため。見合いの場に臨むのも、数ある選択肢の一つにすぎません。「いい人とめぐり合えたらラッキー」ぐらいの気持ちです。
 これに対し男性側は何としても妻、嫁を決めなければと必死になりがちです。農村青年はとくに家や田畑を守り、父母を安心させ、地域を支えるといった使命感を帯びて、重圧は都市の青年以上でした。

 このプレッシャーのかかり方の違いは、いまでは男女で逆転しているような気もするが、個人差だろうか。モテ度の。
 

 ――変わる結婚観や若者の結婚支援のあり方について情報交換する場として、八六年から「結婚問題スペシャリスト講座」を始める一方、個人面談などで男性たちととことんつき合う日々が続く。

(中略)

 あるとき、女性と話すのが苦手だという男性と私は個人面談をしました。農村出身で、靴工場に勤める三十代の男性は、何度かお見合いをしたが女性から断られ続けていました。そもそも女性と話すことに慣れていないように見えたので“免疫”をつけるため、喫茶店で二人きりの模擬デートを演じることにしました。
 型通りのあいさつから始まり、天気や住んでいるところの話が二―三分で終わり、沈黙の時間が続きました。突然「ハイヒールかローヒール、どちらの靴が好きですか」という質問を受けました。ローヒールが好きと答えると、それから三十分は彼の専門的な靴の話です。私はわざとつまらなそうな態度を示したのですが、話は止まりません。模擬デートの後で「一方通行の会話では女性は飽きてしまう」と言いました。

 すいません、ちょっと泣いてもいいですか……。



 ……この後、坂本女史は、男性の意識改革の必要性と痛感し、男の行き方を問い直そうと89年、「花婿学校」を開校したり、同時期に、口数や表情に乏しい秋田の農村の青年に、「お嫁においで、まごころ秋田へ」と書いたのぼりを立てたトラクター20台で渋谷や原宿の街を“嫁来いパレード”させたりする。

 宮崎県椎葉村から参加したある青年は、トラクターで渋谷のハチ公前を走ったときは感動で涙が出たといいます。「オレはオレを生きている」という自信を得たのでしょう。交流パーティーでは埼玉の女性と知り合い、結婚しました。このパレードは青年たちが勇気を示した出来事として、二十五年間この仕事にかかわってきた私の心の中に強く残っています。

 そうか、渋谷をトラクターで走れば、プレッシャーから開放されるのか。この精神は、渋谷の街を練り歩くゲイパレードに受け継がれたとかいないとか。