「アンダーカレント」(豊田徹也) アフタヌーンKCDX
珍しく粗筋から。
―――交際を始めてから4年、結婚してから4年。8年を一緒に過ごしてきた入り婿の夫・悟にある日、何の前触れも無く蒸発された関口かなえ。夫と手伝いのおばさんと3人でやっていた銭湯に、夫の代わりの働き手として臨時に雇われた堀。かなえは久しぶりに再開した女友達*1の紹介で私立探偵・山崎に夫の行方を捜してくれるよう頼む……。―――
帯の推薦文は谷口ジロー。そこからうかがえるよう、全体に漂う空気の漠とした感じが、まず強く心に残る。とつとつと流れていく、非日常の後の日常。静かに、静かに。
セリフのないコマの使い方がいちいち効果的。唐突に騒がしく訪れた非日常の後、夫のいない日常は、生活音が消えたかのような風景の中、過ぎていく。もともとそのような筆を潜在的に特徴としているのだろうが、それがうまく、かなえのぽっかりとした不安定な心にマッチしている。
銭湯の描写がかなり実際に近い。
浴場の奥の壁際に湯船が配置されてるので、中央に湯船がある関西の銭湯ではなく、関東だと分かる。
高い天井は自分が通う銭湯とほぼ同じかたち。40P・4コマ目の天井などそのまま。傾斜した天井中央近くに並ぶ2階部分の窓や、男湯と女湯を区切るように壁に沿って伸びた柱が、天井に届く途中で途切れて神棚のようになっているところなどがそう。
かなえの入浴シーンは、個人的には充分にサービスカットになっている点も強調しておこう。特に211P・5コマ目、トラックの中で交わした「あたしのこと好き?」という問いかけを堀から突っ込まれて慌てふためくかなえ。ええ、30越えても、私がおばさんになっても! 143P・3コマ目のきついマスカラをつけたような目つきで怒鳴る顔にも、ぞくぞく。
アフタヌーン連載時に読んでいた時は唐突に感じられた、9話の幼少時のトラウマ話。ストーリーを知った上で単行本を通して読むと、きちんと各所で伏線が張られていたことに気づく。
たとえば、5話冒頭で団地の前にじっと座り込む堀や、2話で首を絞められて水中に押し込まれる子供のかなえ→現在のかなえ、のイメージなどがそう。だが連載時は、2話のそれなどは、あくまでイメージを利用した暗喩であって、直接にトラウマと繋がる描写だとは想像できなかった。
今、思い返すと、連載時は、次第に明らかになる蒸発した夫の正体不明さと銭湯の日常に眼がいきがちで、かなえと堀の抱える背景には、さほど興味が向いてなかった。かなえの言動や、こちらも正体不明の堀の言動にさえ、蒸発した夫の影を探そうとしていた。だが、かなえの幼少時のトラウマは、夫と出会う前のこと。それで、夫と一見無関係に見えるトラウマ話が挿入されたことに、とまどいがあった。
ラストのシーンは、数あるお気に入りのマンガの中でも、最上の部類。
―――次の停留所へ向かい発進するバス。ベンチに座ったままの堀。荷物を掴んでゆっくり立ち上がり、サブじぃが去っていった道と同じ方向へ歩き出す。―――
かなえが夫と会えたことを知らない堀。再開した夫に、男なんかにはもう頼らないと告げたことを知らない堀。かなえに「黙って出ていったりしないでね」と言われた堀が、黙って出てきた銭湯へ戻っていく。264Pで一度言いかけたことを伝えに。
ストーリー全体を俯瞰すると、堀は必ずしも必要とされない役どころだったようにも見える。
夫の蒸発の理由が分からなかったかなえ。一方、他人が言ってほしいことが分かるという夫は、自分のSOSを態度には表さず、かなえに発信していた。それは、強いかなえなら、自分を受け止めてくれると思ったから。でも実は、かなえのトラウマを知らずに強いと思っていた。どちらも互いのことを知らなかった。
そこのところ、互いのことを知らなかったということを互いが確認するところは、堀の行動とほぼ無関係に進行していく。
正体不明の臨時雇いとして登場する堀は、ストーリー全体を通して漠とした雰囲気をかもすことにはおおいに貢献しているけれども、よく読むと夫の蒸発の話とは積極的に絡んでない。最終話では、サブじぃに「ぼくがかなえさんにできることは何もないと思います」と答え、そのスタンスはそこまで貫かれていた。
で、そのときのサブじぃとの会話などがあって、先にあげたラストシーンでやっと、堀とかなえの思いがリンクしていくだろうことが示唆される。そのシーンを読み終わった時のおだやかな気持ちは、久しくマンガで味わっていなかったものだった。
- 作者: 豊田徹也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/11/22
- メディア: コミック
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