デジタルハリウッド大学院 公開講座 「秋葉原ニッポン・マンガ論」『萌えてはいけない。』

  • シンポジウム概要

 http://www.dhw.co.jp/gs/works05/moeteha/

  • 専用ブログ

 http://www.fortunecookies.jp/manga/



 秋葉原ダイビル7階のデジハリ学院内で。客席が会場のかなり深くまで。30列ほどあったか。ビデオカメラのすぐ横の席に座る。


 パネリストは客席から向かって左から順番に、笹峯あい大月隆寛岡田斗司夫夏目房之介いしかわじゅん、当日までシークレットだったスペシャルゲストの富野由悠季デジハリ学長の杉山知之。おいおい、いしかわが岡田の席に座って、岡田と夏目が一席ずつ右にずれないと、という半年ぶりで定位置を忘れてしまったらしい例の面子に、開始前に「ZⅡ映画版」の予告がかかりまくってたのはそういう分けかの今日も帽子の監督を加えて、スタート。


 イントロダクションという名前の秋葉原街頭リポートビデオ。オタクビジネスの最前線発信基地としてのアキバというイメージを無難にまとめようとして、実際は鼻につくという失敗作。休憩時間中に夏目を取材にきていたワールドビジネスサテライトあたりを教本にしてるんだろうか。




 今回は、ちょっとまとまりづらい。全体の感想として、言ってることや言いたいことはぼんやりと分かるが、己の中で消化するのが難しい、そんな内容だった。

 岡田が話していた、美少女萌えの定義をめぐる論争が活発になっているのは、かつてのSF界におけるセンスオブワンダーの定義をめぐる論争とかなり似ていて、突出したスタイルの混乱期がセンスオブワンダーの時と同じように今、萌えで起こっていて、いずれ前のときのように、浸透拡散していく、という説明は理解しやすかった。
 昔は喫茶店の片隅で数十人単位で意見を交わしていたことが、ネットで数万人、数十万人単位で行われるようになって、より広くよりスピードをもって論争が行われるようになっているのが00年代的、という説明もしっくりいった。

 そして、概念が吸収され普遍化すれば、その概念を利用した作品作りの敷居は低くなる。つまり、勘所をある程度は押さえやすくなる。押さえやすくなれば、クリエイティビティが低くても、作品を商業媒体で発表しやすくなる。売りものになってしまう。それが良いことか悪いことか。岡田はクリエイターの底辺を広げ、ピラミッド全体やその頂点を押し上げるものとして歓迎していたが、大月は、代わりに膨大なゴミ作品にさらされなければいけなくなることに否定気味だった。


 コンテンツの振興策をどう行っていくべきか。それぞれのパネリストの大枠としての捉え方が興味深かった。

  • ピラミッドの底辺を大きくしないと、頂点が高くならない。(岡田、夏目)
  • 本当に頂点が高くなるのか?(大月)
  • ジャンルをひっぱるのは、いつも一人の天才。(いしかわ、富野)

 これは、各パネリストがそれぞれの意見に固執しているということではなく、3つの意見にそれぞれ一定の賛同を示しながら、では一番強く繰り返していた意見はどれだったかという点で振り分けている。



 パネリストの発言には、いちいち頷くところは多くて、日頃、ごたごたしてる頭の中のオタクパーツを整理するのに役立った。けれど、夏目がちょっと怒ったようにも見える口調で言おうとして中々要旨としてまとまって伝わってこなかった、じゃあ、めんどくさいことをしてまで萌えの定義や論争の中身を明らかにして、それでどういう意味があるのか、という部分については、自分の中でもあまり役立つ機会が思いつかない。分析して、それでどうするのか。
 岡田は萌え仮性包茎を、大月は萌え広東包茎を冗談交じりに自称していたが、仮に剥けた萌えをもっていても、カタチも長さも色も個々人で異なる。効率的にビッグヒットコンテンツを誕生させられるかも? そんな萌えの一転突破で打ち上げ花火をあげようとするより、地道にやっていくこと、緊急にやるべきことが、オタク業界にはごろごろしてるだろ、という話の流れになっていくのは、このシンポジウムの必然だったのだろう。




 以下、そういった業界の危機意識などにかかわる発言の“大意”(時系列はバラバラ)。



(岡田):萌えのマーケティングは可能だが、ネットの動きに大きく左右される萌えは、流行り廃りがドッグイヤーなので、マーケティング終了時点の成果を実地に移そうとしても、もう時代とズレていたりする。つくるのも消費するのも手軽になった。それはいいことか悪いことか? では、カラオケは音楽業界にとって良かったか悪かったか? それは一概に言えない。



(富野):受け手の反射神経のほうが、送り出す人間よりはるかに早い。萌えはもう終わりとかまだいけるとかそういう話じゃなくて。好きものがやるから、アウラをネット上でも感じられる。



(夏目):萌えが危ういのは、一つのコンテンツでいろんなグッズを買う人がいるからビジネスの効率はいいけれど、どのくらいの市場規模があるか分からないまま、そういった商法を追求していったら、先々どうなるのか?



(夏目):社会のシステムとして、以前は階層間の流動性があった。それが固定化してきているように見える。低い制作費でもやってこれたそれまでのインセンティブ制度がクリエイターに効果的に働かなくなる。
国家的な振興策をやってこなかった日本で、なぜ世界に例を見ないほどマンガやアニメが発展してきたのか? そこの基本的な研究、データ収集の作業をやらないで、官のおしきせの賞なんかをつくってもしょうがない。
アニメやゲームは日本が一番盛んだから、外国の状況を見なくてもいいし見ない。外国のデータをとろうとしない。国の補助金使ってでもデータとるべき。



(岡田):創作意欲と収入が一致しない。アニメ製作者時代、人並みの給料を貧乏なアニメーターに渡すと、やる気を上げてさらに精進するのではなく、そのカネで遊んでしまって、仕事の力が下がった。それは個々人の問題でなくて、制作会社の中の一般的な現象として。
根っこのところで左翼なので、ものづくりに関して、政府の振興策は信用してないという気持ちはある。
文化の振興は、他の産業の振興と同じようにインフラの整備がなければうまくいかないのに、文化の振興に関しては、道徳方面からのバイアスがかかる。
(下らなくても)萌えコンテンツを売り出す、売り出そうとしてる人は、今の業界の体制が磐石だと思ってるからそういうことができる。
コミケ事務局などが管理する二次利用権の委託金制度を設けて、コミケの完全合法化はどうか。今の著作権はエイベックスやブロッコリーを越え太らせるだけ。



(富野):公共の電波に乗せて発表するということの自覚。なんで、好きというだけでつくるのか。才能を監督という立場で恣意的に作品に反映させてそれを出資者や製作者も止めず薦めているという押井守に対する批判。
「萌えだけで売ってたら、お前(=アニメ監督)、来年には(アニメ監督としての生命が)死んでるぞ!」
義務教育(の建前)で放任された子供に、公共の義務やそれにともなって発生する権利を教える仕事を、「アニメ屋」にやらせるな! だから、メディア芸術祭の委員もやってる。




☆夏目の萌え

  • (マブラブの冥夜をスクリーンに映して)髪型は猫耳を意識したのでないか。
  • 萌え系は必ず立体を意識している。それか2.5次元
  • (別の萌えマンガを映して)こんなに髪伸ばしてたらフツウ、ウサ耳までつけるか? 過剰な様式。
  • 萌えはキャラクターを共有して初めて楽しめる。知らなければ、なーんにも面白くない。
  • 萌えに次の段階はあるのか? どんなカタチにせよ、外に開くところがないとそれはできない。


☆おまけ……オタク市場4000億円超調査報告は「放課後の課外活動」的にやったことという野村総研のあんちゃんに対するパネリストコメント

(大月):「同人誌か」「会社辞めても食えるようにしような」
(いしかわ):「日本人に日本語教えてるみたい」「(シンポジウム主催者から説明を依頼されたというあんちゃんの話に)そっちからプレゼンを頼んだって聞いてたけど? なんか話と違うなあ」
(笹峯):「いしかわさん、大人なんだから!」