STUDIO VOICE 9月号


 第一特集は「現在進行形 コミック・ガイド!」。宣伝色の強い雑誌なので、濃い内容はさほど期待しておらず。初心者向けというほどターゲットを絞り込んでるわけでもなく、かといって当然ながら「QJ」や「ユリイカ」のような深度を目指してるわけでもなく、ぱっと思いつきそうな企画を集めた感が、ばらけた印象と同居。



 アフタヌーンの異端「臨死!! 江古田ちゃん」の作者、瀧波ユカリインタビュー。インタビューアーは芥川賞候補作家の本谷有希子という人。
 瀧波の話の中で「陰毛見ると、我に返りますよね?」「家でごろごろアイドリングしながら全裸で悩んだりしてても、よいしょって体の向きを変えると、途端に陰毛が見えて、「あっ、自分!」みたいな。」。この感覚が「江古田ちゃん」の肝なんだろうと知る。この感覚を、あの独特の絵柄、古代エジプトの壁画のようなぐりっとした目玉とびちっと線の出た鼻梁の顔で、モノローグされると、なんとはなしに読み飛ばせない。
 頭髪と睫毛眉毛以外の毛は、基本、男向けのマンガではタブー(エロ除く)。タブーであるが、それ描かずに、それから連想される感覚をどう、マンガの中に放り込むか。そこの感覚が独特というか、心地よい逆撫でというか。「江古田ちゃん」に比べると、そのものを結構ダイレクトに扱っているように思えるコミハイ!の「女子高生」は、それでもオブラートである。ほかにも数本のインタビューを収録しているが、この瀧波と「大奥」のよしながふみインタビュー(聞き手は伊藤剛)が、マンガ制作にあたっての作者の意識の深いところに触れていて、読み応えがある。ほかは、どんなマンガを読んでたかとか、デビューの経緯とか、制作で気をつけているところとか、別の雑誌のマンガ特集で読んだような通り一遍の内容で、あまり面白くない。



 伊藤剛×芝田隆広×ヤマダトモコの座談会で、「青年誌は隔週誌の方がわりと面白いと思うんですよ。みんなひと工夫している感じがする。」(芝田)「青年マンガ的な画面の密度とか、リアリティの出し方を大切にしようと思うなら、隔週ペースが一番いいのかもしれない。」(伊藤)「女性誌って隔週誌は六誌あるけど、週刊誌はないんですよね。少女マンガならではのみっしり描き込む表現の質に対応してそうなったのかも。」(ヤマダ)。アニマルやスペリオールの名前があがる。
 これは別の機会にでももっと掘り下げて欲しいテーマだよなぁ。アッパーズの変遷とか、ヤングサンデーヤングジャンプが隔週から週刊への移行でどうカラーを変えたかとか、ヤンガンが隔週であるメリットを生かしきれているのかとか、何気に20万部以上刷って実は売れてるイブニングの強さであるとか。あと、「SUGAR」→「RIN」が、隔週(→週刊)→隔月で、どう物語のテンポを変えているかとか。



 「コミックファウスト」の太田編集長インタビューで、税抜1300円という価格設定についての質問に対して、赤字雑誌を単行本の黒字で儲けることに馴染めないとか、そういう考えが雑誌の力をダウンさせたとか、だから雑誌単体で黒字を出せる価格にしたとか。
 月刊や隔月、季刊で出す定期誌ではなく、単発ムックの「コミックファウスト」でそんなこと言われてもなぁ……。「コミックファウスト」が月刊マンガ誌に対するある種のカウンターという位置づけと見てる読者はほとんどおらんだろ。昨日のトークセッション感想では「ある意味、頼もしい」なんて書いたが、ちょっとズレてたかもなぁ。別に、やろうとしていることに反対も賛成もないんだけど、モチベーションの根拠が理解しにくいというか。



 コミック誌35冊のレビュー(芝田隆広担当)で、エロ系から1冊、メガストアが。確かに今、こういった雑誌の企画で1冊だけとりあげるとしたら、これしかない。ガチエロでありながら、泥臭くない洗練さは、VOICE読者にもなんとか受け入れられる範囲だろう。



 コミック50作品の書評で、後藤勝という人の短評が、いちいち的確。
 「ちょこっとSISTER」を、萌えの修羅街道を突き進むとか、「おくさまは女子高生」を、エロ以外の何を期待しろというのかとか、「イケてる2人」を、萌えブームに応じられる強度とか、「絶可チル」を、打ち切り覚悟の本格SFとか。短評の締めで、オススメた文章を挿入していないので、素直に受け取れる。「驚かされる」とか「他に見当たらない」とか「圧倒的」とか「心に残る」とかの。こういった企画に乗せてる時点で、良作か傑作か問題作かは前提としてすでにあるわけで。まとまりよく締められると、あーそうなんだ、ふーん、そのうち読んどくわ、という気分に襲われてしまう人もいる。自分のことだが。書評というものの目的が、どこにあるべきなのか、ということにも係わってくることだけど。