バベル(監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)


 新宿オデヲン座で16:10の回。


 わるくはーないんだけど。評判がイマイチなのも分かるというか。アメリカンの目線でみりゃ、あれで問題はないんだろうけど。
 菊地凛子演じる聾唖の女子高生が、バレーボールの試合で審判の判定に不服を申し立てるのにアメリカンな中指おっ立てをやったり、「審判にキレてお前が退場になったから試合に負けた」「処女だから欲求不満なんだろ」と更衣室でなじるチームメイトに「お前の親父とファックして憂さ晴らししてやる」とアメリカンに毒づいたり、やる気なく寝そべったベッドのある部屋でテレビのニュースがブラッドピットの奥さんを撃った北アフリカの子供を顔写真UPで実名報道していたり、日本に関する描写のありえなさ数十万パワーのHOLLYWOOD脚本に、萎えた。リンコが帰国子女だとかアメリカ被れなんて設定は別になかったし。意思の疎通の齟齬、というテーマそのものは面白かったのに。おそらくだけど、モロッコ編のイスラムの家族で、着替えシーンを次男にワザと覗かせる長女、って設定も、モロッコの人からすればかなりありえないんじゃないかとは思う。
 で、翻って、もしかして聾唖の人たちから見て、あんなの聾唖の女子高生はいないよーって指摘もあったりするのかしら、もしそういった指摘があるなら、指摘をしえない日本人の自分がアメリカンな視点の新宿を指摘するのはどれほど意味があるのだろうか、とも考える。
 で、実際には、きいろぐみという聾唖の団体の人が手話指導を行っており、「バベルを応援しています!」というくらいだし、バレーボールのシーンの観客は聾唖の人に演じてもらってリアルさにこだわったとも云うし、かなり気を使っていると言っていいだろう。バベルの監督にとっては、何不自由ないはずの先進国の大都会に住む裕福な若い女性が、聾唖を理由とした意思疎通のすれ違いに悩みを抱えるというテーマを必要としていたのであって、それが日本や新宿、渋谷である必要はなかったのではないのか。
 で、日本人の自分がすれ違いを見るのに、モロッコアメリカやメキシコを舞台にしてもらう必要も必ずしもないのだ。


参考:公式サイト